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ヒトラーユーゲント


 ナチス政府のプロパガンダを広める重要な手段として、ヒトラーとゲッベルスの演説、メディア、映画、国民への物質的な便宜などが挙げられますが、青少年にナチスイデオロギーを刷り込んでいったヒトラーユーゲントとドイツ少女同盟は、その中でも最も罪深いものであったと言えるでしょう。以下は、2022年4月に東愛知新聞に寄稿したヒトラーユーゲントについての記事です。


 ドイツの高齢者の方々に、ヒトラーユーゲントについてインタヴューをしたことがある。皆さん「楽しい思い出しかない」と懐かしんでいた。「何しろ家が貧乏だったからね、旅行なんてしたことがなかったんだ。ヒトラーユーゲントではバルト海で海水浴をしたり森でキャンプをしたり、それは楽しかったよ。すべて無料だったから、親も快く送り出してくれたんだ」
 ナチス政府はナチスイデオロギーを最も効果的に浸透させるため、子供たちに教育の場を与えなければならないと考えていた。一般の学校ではナチスの価値観を「正しく」指導できる教師は限られていたし、そもそも学校や教師に愛着を持たない生徒も多かった。そこでナチス思想の教育の場として提供されたのがヒトラーユーゲントだ。10歳から18歳までの間にナチスのイデオロギーを叩き込めば、やがて彼らの子供たちもナチスの価値観を引き継いでいくだろう。ヒトラーユーゲントは青少年に対して強制的な思想改造を行い、ナチスイデオロギーを植え付ける学校だった。
 それでは、ナチス政府がヒトラーユーゲントの少年たちに刷り込んでいたナチスの根幹原理である五つのイデオロギーについて簡単に説明したい。
①社会ダーウィニズム:1859年、イギリスの自然科学者チャールズ・ダーウィンは著書『種の起源』の中で、「動植物は自然淘汰によって環境に適したものが生存する」と進化論的な教義に言及したが、これをイギリスの社会学者ハーバート・スペンサーが人類にも適用させようとしたのが「社会ダーウィニズム」である。これをドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルが「人種には優秀な人種と劣等人種が存在する」と歪曲してドイツ語圏に広め、これがやがて「劣等人種」を社会から排除しようとする優生思想へと導いていく。19世紀後半のヨーロッパ列強国のアフリカにおける植民地主義や帝国主義を道徳的に正当化していくには、この社会ダーウィニズムは好都合であったし、後のナチスのイデオロギーにも合致した。「アーリア人種(ドイツ人、北欧・スカンジナビア民族)は世界で最も高貴で優秀な人種であるため世界を支配する権利を有し、その遺伝子を持たない少数民族、遺伝的疾患を持つ病人、障がい者は淘汰されるべきである」として、ドイツ国内の障がい者には強制的な不妊手術を行い、1939年からはT4作戦(安楽死政策)を実施して25万人以上が犠牲となった。
②反ユダヤ主義:ヨーロッパにおけるユダヤ人差別の歴史は古く、中世からその迫害は記録されている。ドイツでは特に第一次世界大戦の敗因やヴェルサイユ条約で多額の賠償金支払い義務を負わされたことによる経済危機はユダヤ人のせいだとスケープゴートにされた。そもそもユダヤ人とはユダヤ文化を守って生活するユダヤ教徒のことであり、人種を指すものではない。ドイツの多くのユダヤ人は差別から逃れようとキリスト教に改宗したり、ユダヤ文化を放棄したりしたが、ナチス政府はユダヤ人を社会ダーウィニズム的な「生物学的劣等性」を持つ人種として迫害し、600万人を殺害した。
③東方生存圏:第一次世界大戦で敗戦したドイツは7万平方キロメートル(全領土の13%)の領土を失い、650万人の住民(人口の10%)がドイツ国籍を失った。ナチス政権の目標の一つがこの領土の奪還と東方生存圏の拡大であり、ドイツ領を東欧に広げて資源を獲得し、劣等なスラブ人種を滅ぼす、もしくは奴隷化を計画していた。戦時中に殺害されたソ連民間人は570万人、ポーランド民間人は180万人、シンティ・ロマは25万人に上る。
④総統原理:ナチス独裁の中心は総統アドルフ・ヒトラーであり、すべてのドイツ国民はヒトラーに絶対服従しなければならない。ヒトラーは自身を「アーリア民族を救うためにつかわされたメシア」であると主張し、三権分立を除外して民主主義を否定、ドイツを権威主義的な指導者国家に変貌させた。
⑤民族共同体:ナチス政府は国民の出自、職業、富、教育のあらゆる違いを否定し、アーリア人種のみによる連帯と全体主義的支配体制の確立を目標とした。統一と画一化を目指すスローガンは「私利私欲より公益優先」であり、民族共同体の連帯を示すために帝国党大会、メーデー、収穫祭などの記念日や祝日の行事をプロパガンダに利用した。群衆が松明を持って行進する記録映画は、今でも視聴することが出来る。一党独裁国家は政治、社会、文化をナチス的に均一化する必要があったため、すべてを政府の監視下に置き、ガイドラインに従わせた。
 以上の5つがナチスの主要なイデオロギーであり、ヒトラーユーゲントは特に⑤の民族共同体の確立を目指して編成されたものだ。
 ヒトラーユーゲントはワイマール共和国時代からすでにナチス青少年運動として細々と活動してはいたが、世間の知名度は低かった。ナチス党が政権を掌握すると、ヒトラーユーゲント以外の青少年組織、同盟、協会、クラブは強制的に解散させられ、1936年にはヒトラーユーゲント法が制定された。その中で「ドイツ国民の未来は若者にかかっている。したがって、ドイツのすべての若者は、将来の職務に備えなければならない」とある。将来の職務とは、兵士となって戦場に行くことだ。「すべてのドイツ青年は、ヒトラーユーゲントにおいて団結する」「家庭および学校での教育に加え、ヒトラーユーゲントにおいて、人民への奉仕および民族共同体のために、国家社会主義の精神に基づいて肉体的、精神的、道徳的に教育されなければならない」
 1939年にはすべての青少年のヒトラーユーゲントへの加入が義務付けられ、少年たちは学校の授業の後、週3~4回はヒトラーユーゲントに赴いた。思想教育、フェンシング、乗馬、ボクシング、行進やマーチングバンドの練習、軍事演習、スポーツなどの授業があった。
 中でもキャンプ、ハイキングといった野外活動は大変人気があった。これは19世紀終わりから20世紀初めに流行したワンダーフォーゲルを基盤としており、その頃はロマン主義の理想に触発された青少年が学校や社会環境の狭い枠から抜け出し、大自然の中で独自の生活様式を展開しようとする運動だった。しかし、ヒトラーユーゲントは全く別の目的のためにこれを吸収し、少年たちは自然の中で連帯意識を深めていった。ここでは親の地位や富に関係なく、誰もが平等であり、同じ制服を着ている。(現代のドイツの公立学校に制服着用がないのは、ヒトラーユーゲントの強制的同一化がトラウマになっているからだ)「青少年は青少年によって導かれる」をモットーに、グループ分けされた彼らの指導をするチームリーダーは大人ではなく、少し年上の青年たちだった。
 夜になると若者向けに特別に制作されたプロパガンダ・ラジオ番組を一緒に聴き、ヒトラーと国への忠誠心、仲間意識、義務の遂行、意志の強さ、民族の誇り、反ユダヤ主義といったナチスのイデオロギーを叩き込まれていった。ヒューマニズム、普遍的人権、民主主義といった価値観はドイツ的ではないし、未来の兵士に家族からの愛情、信頼、絆は意味を持たない。これまで親から与えられた教育、倫理観はすべて捨てよ。ヒトラーへの忠誠を誓い、個人の幸せを追わずに民族共同体としての連帯に価値を見出せ。ヒトラーユーゲントは少年たちに家族愛を否定させ、ヒトラーのために死ねと刷り込んだのである。
 また、10歳から21歳の女子もヒトラーユーゲントの女子版であるドイツ女子同盟への加入が義務付けられた。男たちの義務が国のために戦場で死ぬことであるのならば、女たちの義務はひとりでも多くの健康な男子を生み、未来の兵士を育てることである。少女たちはドイツ女子同盟で主婦、母親としての準備教育としての家事、育児の勉強をした。また、間違った遺伝子を残さないよう人種教育は必須であった。健康な母体を作るためのスポーツ、マスゲーム、ピクニック、合唱、ハイキングを楽しみながら、イデオロギーを植え付ける実に巧妙な指導を受けたのである。


 戦争が始まると、若者たちは空襲後の清掃活動、寄付、衣類、金属くず集めが主な活動となり、その合間には12歳の子供も手榴弾やバズーカ砲の使い方を練習した。
 1943年、戦況が厳しくなると、ヒトラーユーゲント装甲師団が編成され、15から17歳の若者たちの7割が兵士となって前線に送られた。まだ未成年であったため、戦地では煙草の代わりにキャンディやチョコレートが支給され、連合軍側は「ベイビー師団」と言って馬鹿にしていたという。しかし、当時のヒトラーユーゲント師団の指揮官はこう書き残している。「血気盛んな彼らはまだほんの子供だったが、敵の戦車にも立ち向かっていく勇敢な兵士だった」ヒトラーユーゲント兵たちは、ノルマンディ、バルジの戦い、春の目覚め作戦などで活躍し、6万~7万人が戦死した。
 大戦末期には14歳以下の少年たちは銃後の守りを任されて、防空の高射砲部隊や国民突撃隊に配備され、ここでも多くの犠牲者を出している。
 それでも尚、高齢者に「ヒトラーユーゲントは楽しかった」と躊躇なく言わしめるのは、ナチス政府の徹底したイデオロギー教育の「成果」だろう。
 私のドイツの親類に、ベルリン市街戦を体験した者がいる。国民突撃隊には16歳からの青年が配備されることになっていたが、実際には12歳くらいのヒトラーユーゲントの子供たちもいた。パンツァーファウストを手に、赤軍の戦車が来るのを身を潜めて待ち続けてる少年たちに「この戦争は負けるんだよ。お母さんのところに帰りなさい」と親類が言うと「僕たちは腰抜けではない。イワン(赤軍兵の蔑称)を全滅させるまでは帰らない」と胸を張ったという。

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