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エーリヒ・マリア・レマルク

第一次世界大戦の塹壕戦について調べながら、エーリヒ・マリア・レマルクの『西部戦線異状なし』を読み返しています。今さらですが、やはり不朽の名作ですね。レマルク自身の体験による悲惨な戦地の描写も生々しいのですが、次第に若者たちの意識が一般人のそれと乖離していく「なんとも言い難い距離感」という心理描写に胸がえぐられる思いです。

 この続編『還り行く道』は戦場でのトラウマと不安を抱えながら生きる復員兵を描いた反戦文学ですが、日本語訳もあるでしょうか?どちらもナチス時代には「社会的に有害」であるとして読むことが禁止され、公開焚書となっています。

 レマルクはヒトラーが政権を掌握する以前から全体主義を批判する発言を繰り返したためドイツにいられなくなり、ヒトラー政権が生まれる前年にスイスへ、1938年にはアメリカに亡命し、ドイツ国籍を剥奪されています。

 『西部戦線異状なし』はハリウッドで映画化されて彼はすでにアメリカでも有名人でしたし、アメリカで精力的に小説や戯曲を書き続け、小説『凱旋門』『愛する時と死する時』をはじめ、10本以上の著作が映画化されましたから収入は十分あったようです。その多くがナチス政権下で自由を奪われながらもひたむきに生きる人々を描いたものでした。

 第一次世界大戦で多くの友人の死を見てきた彼が、再び全体主義という大きな黒い渦の中に沈んでいく祖国を、アメリカから暗澹たる気持ちで見つめていたことでしょう。

 さて、レマルクは外見も性格も魅力的な男だったようで、グレタ・ガルボやマレーネ・ディートリヒをはじめとするハリウッド女優たちとも浮名を流していますし、最後の妻はポーレット・ゴダードだったと言いますから驚きます。ゴダードは『チャップリンの独裁者』でチャップリンの相手役のユダヤ人女性を演じた女優です。

 ところで、私が何年か前にナチス時代の政治犯の処刑場だったベルリン・プレッツェンゼーを見学した際、ここでレマルクの妹がギロチンで処刑されたとあって驚きました。レマルクの妹エルフリーデはドレスデンで洋裁店を営んでいましたが、兄と同じくナチスに批判的で、顧客に「この戦争は負ける」と言ったことをゲシュタポに通報され、国家反逆罪で死刑を宣告されました。人民裁判では悪名高いフライスラー裁判官が「おまえの兄は我々から逃げたが、おまえは逃がさない」と法廷で叫んだと言われています。

 アメリカにいたレマルクが妹の死を知ったのは1946年で、直ちに妹に捧げる小説『Der Funke Leben 生命の輝き』の執筆を始めました。これは第二次世界大戦末期、架空の小さな強制収容所での労働不能な被収容者と看守を描いた物語です。レマルクは強制収容所を生き延びた元被収容者らにインタビューし、看守から受けた暴行、精神的屈辱、不衛生で劣悪な環境、飢餓といった非人道的な状況を聞きながら小説を書きました。インタビュー、リサーチ、推敲に6年を要し、発表したのは1952年になります。アメリカでは高評価を受け、ベストセラーとなりましたが、ドイツ社会は歴史の過ちに向き合うことをまだ拒否していた時代でしたから、レマルクは「ドイツの裏切り者」と批判され、評論家からは「収容所に行ったこともないくせに」と冷たく扱われたそうです。確かにフランクル博士の『夜と霧』のように体験者が書くのと第三者が小説にするのとでは質を全く異にします。しかし、私はこの小説の中に、レマルクがナチスの蛮行を白日の下に晒そうとする執念や妹への贖罪のようなものを感じて胸を打たれました。本の中に妹は登場しませんが、タイトル『生命の輝き』は、まさしく短かったけれど輝いていた妹の人生を悼んでつけたのであろうと想像します。

 YouTubeにレマルクが60代後半の時のインタビュー動画があります。知的でユーモアのある穏やかな紳士ですが、時々見せる眼光の鋭さから執筆への執念のようなものが伺われました。なるほど、ディートリヒやガルボたちが夢中になったわけですね。72歳で亡くなる直前まで、レマルクは全体主義に向かうことに小説、戯曲を通して警鐘を鳴らし続けました。

 さて、1930年のアメリカ映画『西部戦線異状なし』をご覧になった方は多いと思いますが、私は1979年制作のアメリカテレビ映画をおすすめします。チェコスロバキア(当時)で撮影され、1930年の映画より原作に忠実、カラーですからよりリアルです。ドイツ兵の革製ピッケルハウべからスチールヘルメットに、途中からボタンが変わる軍服、貼られているポスター、焼け野原の戦場、塹壕の様子、使用している機関銃、携帯用ナイフ、野戦病院など、隅々まで時代考証がされていることに驚きます。このテレビ映画はゴールデン・グローブ、エミー賞など多くの賞を受賞しているのも当然でしょう。ドイツではAmazonプライムで見ることが出来ますが、日本ではどうでしょう。

エーリヒ・マリア・レマルク

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