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宮沢賢治【眼にて云ふ】

夏の終わり、窓の外に目を遣ると、空が高い。
蜻蛉が、一匹、二匹、羽音を立てて、金色がかった青い空に消えていった。
だんだんと短くなる日照時間と共に、秋、それから先の冬の足音が聞こえてくる。

そんな何気ない、かけがえのない、一度切りの今日に、心を激しく揺さぶられた詩がある。

※著作権の消滅した作品です。表題以外の表現を、現代の仮名遣いに修正しています。



眼にて云ふ

宮沢賢治

だめでしょう
とまりませんな
がぶがぶ湧いているですからな
ゆうべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にそうです
けれどもなんといい風でしょう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くように
きれいな風が来るですな
もみじの嫩芽わかめと毛のような花に
秋草のような波をたて
焼痕のある藺草いぐさのむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
これで死んでもまずは文句もありません
血がでているにかかわらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄こんぱくなかばからだをはなれたのですかな
ただどうも血のために
それを云えないがひどいです
あなたの方からみたらずいぶんさんたんたるけしきでしょうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとおった風ばかりです


宮沢賢治が閉じ込めた言葉の結晶が、時を超えて、私の中で開いた。
透き通った風が吹き抜けていく、その病床にいる人物が、もしもこの先の私であったなら。もしくは、そのさんたんたるけしきを見ている人物の目が、私のものであったなら。私には、何ができるだろうか。

最後の三行。

わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとおった風ばかりです

病の果てにある境地は、こんなにも美しいのだろうか。
私は、与えられた時間を、こんなにも大切に使うことができているだろうか。

空気が澄んでいく。

この詩の中、季節は清明(春の始まり)だ。
現実世界では、秋が、冬がやって来る。
冬が明ければ、また春が巡ってくる、はずだ。

この詩に思いを馳せた今日は、やはり、一度きりで、かけがえのない、素晴らしい一日だ。







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