夏の昼の夢【#シロクマ文芸部】
ヒマワリへ、分け入る。夏の終わりの太陽が、燃え尽きる前、最後の抵抗をしているかのような、殺人的な暑さだった。それなのに、底冷えがする。歯がカタカタと音を立てる。全身から冷や汗があふれ出し、止まらない。
どこ。
どこにいるの。
せがまれて、ヒマワリ迷路に来たのが、そもそもの間違いだった。私は憔悴していて、ほんのひと時、意識が空へと向き、つないだ手を離した。その一瞬だった。この一瞬を、私は一生後悔するのだろうか。
そんなことが。
「マドカちゃーん」
「マドカちゃん、出ておいでー」
迷路の運営スタッフと、他の客たちにも手伝ってもらって、娘のマドカを探している。マドカが迷子になって、もう一時間になる。マドカはまだ五歳だ。この暑さで、熱中症になって、どこかで倒れているかもしれない。もっと水分を取らせるべきだった。どうしよう。どうしよう。鼓動が急激に速くなる。心臓が破けそうだ。
考えろ。
考えろ。
どこにいる。
けれど、迷路の行き止まり箇所は、既に全部探してあるじゃないか。
「お母さん、大丈夫だよ。絶対見つかるから」
迷路に来ていた老夫婦に声をかけられた。なんで。なんで何の根拠もなく、そんなことが言えるの。労いの言葉すら受け取れないほどに、私の心は、限界に達していた。
なに?
空耳?
猫の鳴き声がした気がした。
とうとう、頭までおかしくなったのか。
いや、また鳴いた。
確かに、猫が鳴いた。
どこで?
もしかして。
足元に、白猫がいた。綺麗な青い瞳をしている。
白猫は、私を見上げると、尻尾をぴんと立て、ヒマワリの中を、迷路のルート外へ歩き始めた。
「ねえ、 知ってるの? マドカはどこ?」
猫の後を追った。マドカが見つかれば、何を引き換えにしたって構わない。
白猫は、時々立ち止まって私を振り返ると、奥へ奥へと進む。
気づいた。ヒマワリの背丈がどんどん高くなっている。ヒマワリたちは空に向かってぐんぐん伸びていく。ヒマワリの花が、空を塞いだ。空を見るなと、私に警告するように。ヒマワリの森の中を、白猫の後ろについて歩く。
開けた場所に出た。白猫が止まった。
「マドカ!」
マドカが、樹木のように大きくなったヒマワリの根元で、泣いていた。
「おかーーーさあーーーん!」
マドカが走ってくる。涙と汗で、髪の毛がぐちゃぐちゃに顔に貼り付いている。よかった。熱中症にはなっていない。ヒマワリが空を塞いだおかげで、直射日光を避けられたからだ。
「マドカ! ごめんね!」
「さみしかったあーーー!」
マドカを抱きしめる。小さくて、温かい、私のマドカ。
「マドカ、どうしていなくなっちゃったの?」
「マドカね、おおきなヒマワリをさがしてたの」
「大きなヒマワリ?」
「うんっ! サトルにあげるの!」
胸を氷の刃で貫かれたようだった。マドカの手を離した瞬間、私の心は、空にいるサトルに向いていた。
「サトルに、大きなヒマワリをあげるの?」
ゆっくりと聞き返す。声が震える。サトルは、マドカの双子の弟だ。
「マドカね、ほんとはね、マドカのしんぞう、サトルにあげたかったの」
医師の声が蘇る。
『息子さんに心臓を提供するドナーにつきましては、該当者がいない状況です』
どうして。
代わってやりたかった。私は死んでもいいから、私の心臓をあげたかった。
「おかあさん、なかない、なかないよ?」
マドカが私の肩をぽんぽんと撫でる。
「サトルがね、おそらにいくまえに、おおきいヒマワリ、みたいっていってたの」
「だから、サトルのために、ヒマワリを探しに来たの?」
「うんっ! マドカね、おおきいヒマワリ、みつけた!」
仰ぎ見ると、鬱蒼とした巨大なヒマワリの森が、どこまでも続いている。ヒマワリの花びらは、笹の葉のように大きく、ひしめき合う花からは、濃密な香りが漂ってくる。なぜか、ヒマワリたちは太陽の方を向かず、私たちの方に花を向け、私たちを見下ろしているのだった。
「おかあさん」
「なあに?」
「おおきいヒマワリみつけたから、サトル、かえってきてくれる?」
「お空に行った人は、帰ってこないの。その代わりに、ずっとお空から、私たちを見守ってくれるの」
「ふうん? サトル、かえってこない?」
「帰ってこないよ」
「サトル、かえってこないの、やーーーだーーー!」
泣きじゃくるマドカを抱きしめ、泣いた。
「おかあさん、マドカ」
はっとした。
白猫が。
「もう、まいごにならないで」
サトル?
「おかあさん、マドカ、だいすきだよ」
待って。
行かないで。
消えないで。
白猫は、一声鳴いて、跳ねると、消えた。
白猫が消えた瞬間、時空が歪んだ。
「よかった! 見つかったか!」
先ほどの老夫婦が、心配そうに私たちを見下ろしていた。
私とマドカは、手を繋いで、迷路の行き止まり地点に倒れていた。
マドカは、すうすうと寝息を立てている。
夢、だったの?
でも。
空を見上げる。
もうすぐ豊穣の秋を迎える、どこまでも青い空を。
サトル。
守ってくれて、ありがとう。
<終>
この小説で、小牧幸助さまの下記企画に参加させていただきます。
小牧幸助部長、今週も、書けました!
シロクマ文芸部に入部して、週末が楽しみになりました。QOLが上がっています。本当にありがとうございます。
今回は、すこし悲しいお話。
ですが、ハッピーエンドです。
心理描写の解像度と瑞々しさ(生々しさ?)を上げていきたいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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