白夜の海 Episode 4 【#シロクマ文芸部】
小説・エッセイを書いています、樹立夏です。
生きづらさを抱えた青年と少女の恋物語を書いています。
この小説は、小牧幸助さまの下記企画に参加しております。
物語も山場を迎えております。
これまでのお話は、こちらからどうぞ。
変わる時だ。今こそ、私は変わらなきゃいけないんだ。自分を制御する装置が働かない。私は、暴走していた。お小遣いは手つかずのまま、数か月分を財布の中に持っている。私たちは、電車に乗り、空港を目指した。このまま、どこか遠い所に飛ぶ。奏汰と二人で、綺麗な海を見に行く。
「眞子ちゃん、やっぱり帰ろう」
奏汰が、やつれた顔をして、私の手を揺さぶった。
「こんなことをして、後で眞子ちゃんが、家族に何をされるか」
「奏汰は、私のお父さんが怖いの?」
奏汰を睨んだ。私の体中をめぐる血管の中を、血潮がごうごうと流れている。
「そうじゃない。そうじゃなくて」
「じゃあ、このまま海を見にどこかへ行っちゃおうよ。もう、全部どうでもいい」
「眞子ちゃん!」
奏汰が叫んだ。周囲の乗客の視線が注ぐ。
「いつもの冷静な眞子ちゃんに戻ってよ。何が最善なのか、一緒に考えよう」
「奏汰は、私が可哀そうだって思ってるの?」
「違う」
奏汰の漆黒の大きな瞳が、私の瞳を覗き込んだ。暗い水底で動けないでいる、小さな魚を探し出すように。
「俺は大丈夫だから。一緒に、眞子ちゃんのこれからを考えよう」
奏汰の瞳が、私を吸い込んだ。奏汰と一緒のリズムで、息を吸って、吐いた。潮が引くように、興奮から覚めていく。私は、何をしようとしていたのだろう。
「これ、眞子ちゃんに頼まれてたやつ。いつか会えるかなって思って、持ち歩いてた」
奏汰が、鞄からぼろぼろ原稿の束を取り出した。
「俺の最高傑作」
奏汰は微笑んで、私に原稿を手渡した。その紙の束の一枚目を捲る。
「『朧月夜』?」
「そう。眞子ちゃんに初めて会ってから、少し手直しした」
「白夜の海……?」
「そう。ずっと北の国の島にいる、二人の話」
奏汰が窓の外を見て、目を細めた。雨は、止んでいた。赤紫色の、燃えるような夕焼けが、モノクロームの雲に色彩を与えていた。時刻は、十九時だ。夏至の日が、暮れていく。
「奏汰。私たちが無事、大人になれたら、白夜の海をさ、いつか本当に、二人で見に行こうよ」
私が呟くと、奏汰は笑って頷いた。奏汰の柔らかな髪が、私の頬をかすった。
あの日、奏汰が、私をこの世界へつなぎとめてくれた。私が、横断歩道に飛び込んだ時、もし奏汰が手を引いてくれなければ、私は。
車内アナウンスが、空港への到着を告げた。
「降りたら、眞子ちゃんの家の最寄り駅まで、一緒に帰ろう」
奏汰はそう言って、私の頬を指で拭った。知らないうちに、私はまた泣いていた。
「わかった」
私たちは手を繋いで、ホームに降りた。誰かに触れて、心が凪ぐように安心するのは、初めてのことだった。
「眞子!」
ホームには、お父さんがいた。
お父さんが激怒しているのは、遠目からでも明らかだった。
どうして、ここがわかったのか。
「何してるんだ、眞子!」
「瀬名さん、この子がお嬢さんの」
「ええ、娘の眞子に間違いありません」
お父さんの両隣には、女性と男性の警察官が、一人ずつ立っていた。急にがくがくと膝が震え出した。
「娘の手を離せ!」
お父さんが奏汰に怒鳴った。
奏汰が、繋いだ手に力を込めた。
「眞子。そいつに何をされた? とにかくこっちへ来るんだ!」
私は、手を繋いだまま、逆方向に走り出そうとした。
「お前は私の娘を汚したのか!」
その瞬間、奏汰の手が離れた。
ああ、これが最後なんだ。
「汚したのは、お前だ!」
奏汰が、お父さんに殴りかかった。
あの時、横断歩道に飛び込んだ時のように、全てがゆっくりと動いていた。
だめだよ、奏汰。
奏汰は何も悪くないのに。
お願い。
ねえ、お願い、帰ってきてよ。
奏汰に殴り飛ばされて、お父さんは仰向けに倒れて頭を打った。ホームの支柱を掴み、よろよろと起き上がると、口の端の血を拭って、お父さんは、警察官二人に「被害者」としての視線を送った。
男性警察官が駆け寄り、奏汰を羽交い絞めにした。
「黒森奏汰だな。署で話聞くから来い」
すべてが色彩を失い、時間はのろのろと、前に進んでいく。
奏汰は、羽交い絞めにされながらも後ろを振り向き、私に向かって——
笑った。
学校の礼拝堂にある、天使の彫刻のような、美しい笑顔だった。
「眞子ちゃん、怖かったね。お父さんが、鞄にGPSを付けていてくれたから、あなたの居場所が分かったの。ありがとう、だね。もう大丈夫だからね」
女性警察官が、私の肩を抱いた。彼女の手は、血が凍るほどに冷たかった。
<来週へ続く>
小牧部長、今週も書けました!
「白夜の海」は、残り2話となります。
どうぞお付き合いください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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