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インド旅行雑記

今年の夏でもう4年になるのか。北インドを旅したお話を書きます。
徒然なる日々の中でたまには記憶のトレースをしなければと思う次第です。


2016年8月、北インド


なぜインドに行こうと思ったのか。
明確な理由があったかどうか分かりませんが、インドに旅した頃私はスリランカにしばらく滞在していました。

海を挟んだすぐ向こうにインドがあるのだから、やはり一度はインドの混沌を見に行かずには終われないと思ったのだと思います。

(沢木耕太郎の『深夜特急』や、さくら剛のインド旅行記なんかに影響は受けていた気がします。バックパッカー本好きだったな。
そして周囲にインド旅経験者やインド留学経験者が複数いたので、私だって一度は行っておかないと名が廃ると思った。笑)

このときはイギリス留学仲間のあおいちゃんと女子2人旅をしたのでした。
ちなみに突然インドのお話を書き始めたのも、あおいちゃんのインド旅行記noteを見て無性に書きたくなってしまったからです。笑


インドの印象


私たちは2週間の旅程でデリー、アグラ、ジョードプル、ジャイサルメール、ジャイプール、バラナシを回りました。

それはそれはもういろいろな意味で刺激的な日々でした。。

毎日(毎秒?)だまされぼったくられそうになり、毎日露天商やリキシャのドライバーと口論し、こんな短期間でそんなにメンタル鍛えられる?ってほど精神修養になったし、ここでの善意には裏があることを嫌というほど思い知らされたし、折れない強い心を手に入れました…。
人生は闘いっていうこともね…。笑
大げさ?笑 インド行った人ならきっと共感してくれると思うんですけど。


息をするように嘘をつく人たちに翻弄され、モラルの概念についても考えざるを得ませんでした(それが文化の違いによるものでもあり、またあの場所で生き抜く術でもあるのだろうから、もちろん腹は立つけど非難するつもりはないです)。

他方、彼らの精神の強靭さと、この世界でサバイブするってどういうことだろうっていうことについても考えさせられました。

そして、かの大地の広大さと多様性と歴史と魔術的な魅力に触れ、やっぱりその虜になってしまいました。

すべて追っているといくら字数があっても足りなさそうだけど、なんとなくジャイサルメールのことを書きたいと思ったので今日はジャイサルメールについて。

文章、着眼点のいずれからも、かつてのような繊細さと煌めきが失われてしまっていることは重々承知しているのですが、大目に見てくださいね。


砂漠の街ジャイサルメール


さて、ジャイサルメールへはその前に滞在していたジョードプルから3段ベッドの寝台列車で7時間かけて向かいました。

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案外快適で熟睡できました。
確かインドに着いて一週間ぐらい経ったときで、日々インドの洗礼を受け、もう不衛生さにも人のうっとうしさにもだいぶ慣れていました。


ジャイサルメールは、インド北西部ラジャスタン州に属する、パキスタンとの国境近くのオアシス都市です。
周囲をタール砂漠に囲まれ、住居も城もすべての建物が砂岩で築かれた、それは異国情緒あふれるところでした。

列車は朝方ジャイサルメールに到着しました。
街は砂漠地帯らしく乾燥したほこりっぽい空気をまとい、砂色の建物は真夏の太陽を照り返して本当にまぶしかった…サングラス必須です。

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アラビアン・ナイトの世界から抜け出してきたような街は本当に散策しているだけで何もかもが目新しくて美しかった。
そして人々もデリーなんかの大都市に比べるとマイルドで過ごしやすかった。涙


王家の墓場の少年


ジャイサルメールには数日滞在しましたが、ある朝バダ・バーグという王家の墓地を見に行きました。
まだ朝も早く、あまり有名な観光地でもないためか、他に人の姿はありませんでした。

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墓とは言うものの宮殿のように繊細な造形で美しかったです。普通にこのアーチの中も歩いて入れる感じ。

ぶらぶら見て回っていると、どこからか犬を連れた12, 3歳くらいの少年が現れ、おもむろに私たちに観光ガイドのようなことをし始めました。
着古したTシャツにサンダルの出で立ち。
ああまたか、と思いました。

インドの観光地では、頼んでいないのに勝手に写真を撮ってくれたり観光ガイドをしてくれたりと一見親切な行いをする人がよくいますが、彼らは善意でやっているわけではなく、そのあとには必ず金銭を要求してくるからです。
ちなみに断ると口論になるし食い下がられるしでかなり骨が折れます…。


でもこのときは、爽やかな朝だったし、まあそれでもいいかと思って少年がガイドをするに任せていました。

一通り遺跡の説明をし終わって、彼は遠慮がちにチップを求めてきました。私は拒否せず硬貨を1枚渡しました。

少年はそれを受け取ってよく見つめたあと、大変嬉しそうな顔でThank youと言い、何かポケットから出して私に渡しました。
それは小さな白い貝殻でした。

「勝手に観光ガイド」系のインド人から何かをもらうことなど一度もなかったので、驚きながらもお礼を言って私は貝殻をしまいました。

そして少年は犬を連れて、向こうにいたヤギの群れを追い立てながらどこかに去っていきました。


バダ・バーグを後にし、何気なく小銭入れを開けたとき、私は少年に渡した硬貨がインドルピーではなくスリランカルピーであったことに突如気づきました。
スリランカルピーはインドルピーの半分の価値もなく、また硬貨は現地通貨に両替もできないのです。
ここで何の価値にもならないものを渡してしまった。
自分が少年を騙してしまったようで、申し訳ない気持ちに苛まれました。

自国通貨でないものなら見れば分かるだろうに、彼も気づかなかったのか。
それとも貨幣を見慣れていないのか。

少年はこの砂漠の土地でどこから貝殻を手に入れたのだろう、きっと海なんて見たことはないだろうに。もしかして大事なものだったら…。


後味の悪さを抱えながら、もう一度会えたらガイド代としてちゃんとインドルピーを渡したいな、と思いました。
しかし、もう一生会うことはないのでしょうけど。

その後どこで失くしたのか、少年の白い貝殻は今はもう持っていません。
でもこのことはずっと記憶に残ると思います。

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ジャイサルメールでは、ラクダに乗って砂漠の中まで行き、野営もしました。星がきれいだったな。
ラクダって鞍を外されて座っていると何だか別の生き物みたい。
土下座みたいな格好じゃないですか?かわいいけど。


ジャイサルメールを発つ


ジャイサルメールはインドで訪れた場所の中でも印象に残るところでした。
ジャイサルメールに滞在したあとは、次なる目的地に向け、10時間の寝台列車の旅を行いました。


列車が砂漠地帯を抜けると、あとは低木がまばらに茂るだけの荒涼とした草地がどこまでも広がっていました。

そんな景色を車窓からぼーっと眺めていると、数十頭の羊の群れが目に入り、幼い羊飼いの男の子が一人でその群れを率いていました。
その光景は私にとってわりと衝撃的でした。

彼はどこから来てどこへ帰っていくんだろう、一帯には見渡せる限り人家もないのに。
こんなに何もない寂しい場所でどうして一人なんだろう。
どんな生活しているの?

私は羊と男の子の姿が後方に流れていってもう見えなくなるまで、ずっと見つめていました。

たまたま目撃した一瞬の光景だったけど、今でもたびたび思い出すほど、鮮烈に私の心の中に残っています。


最後に


旅の中で事あるごとに思うのは、世界の末端にまで、私の知らない隅々にまで人の営みというのは広く存在していて、自分が知っている世界や生活の在り方なんて本当にただの一例でしかないということです。

私は旅の醍醐味ってこういうところにもあるなあといつも思ってます。
何でもない光景が自分にとっては啓示的だったりとかね。

結局人間なんてどこで何してたって生きられるじゃないかって、随所で思わされます。


そろそろ筆をおきたいのですが、本当はバラナシのことなんかも書きたかった。

ガンジス川の沐浴のこととか、お神輿のように死体を担いで町中を練り歩く話とか、火葬の煙で息もできないほどだとか、野良牛が道を塞いで通るのも一苦労とか、不思議な火のお祭りのこととか…。楽しかったな。
やっぱりインド良かったです。喉元過ぎれば何とか、かもしれないけど。

インドに行ったら人生観が変わる、とかよく言われるけど、それはその人の捉え方次第だと思います。

あらゆる事象は結局はその人というフィルターを通して認知されるものじゃないですか。

私は人生観が変わったかと言われると分からないけれど、自分の中の引き出しが増えた感じはするかな。たった2週間の滞在でも。

たまに、あの砂漠の人たちは今日も羊やラクダを追いかけて生活してるのかなあ、リキシャドライバーはお客と喧嘩してるのかなあとかふと考えたりするし。


インドに限らず、ここ数年で、特に海外で、様々な「自分の知っている枠外」で生活する人や物事を考える人にであい、多様性への許容度が上がったし、
「〜するべきだ」「こうあらねばならない」という考え方をしなくなりました。

選択の際には社会的合理性よりも直感を大事にしているし(結局自分にとってはそれが一番正しいと気づいた)、
どうせ死ぬまでの時間であれば、自分自身を制限するよりも解放して、彩り豊かで多くの経験に富むものにしたいなとはっきり思うようになりました。


インド旅行の記録と言うよりは、印象に残ったシーン紹介と旅を通した価値観雑記のようになってしまいましたが…

またバックパッカーしたいな、過去の写真を見ると漂泊の思いがざわついてどうしようもないですね!
次インド行くなら南インドかな。
まずは、早くコロナ禍がおさまりますように。



最後に写真を少しだけ。

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ジョードプルのかばん屋さん。千と千尋の神隠しの坊のお部屋を思い出す雰囲気!
この頃には、悲しいことだけど日本人女性と分かるとカモにされることが分かっていたので、オーストラリア人と言い通して会話し(スリランカの前はオーストラリアに住んでたので何となく笑)、いくつか綺麗な小物入れを買いました。


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ガンジス川の朝の沐浴の様子。雨季に行ったので水がすごく濁っていました。
ガートも水没していたしバラナシだけは乾季がおすすめ。


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バラナシの道。ここがたまたま細い路地なのではなく、町中の道はほぼ全部路地なので、牛がどいてくれるのを待つしかない。
糞のついたしっぽを力強く振ってくるのでそれに当たらないように通る(大縄跳びの要領)。


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ジャイプール。丘の上のアンベール城まで象に乗って行きます。


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定番中の定番タージ・マハル。


次回は、インドの他の都市の話か、トルコを一人旅したらすごくモテたけど危ない目に遭いそうになった話(笑)か、オーストラリアのヒッピー生活の話か、その辺りを書くかもしれません。
筆が乗るときに。


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