見出し画像

四神京詞華集外伝/栗栖摩利支乃法師の選択(後編)

【おはなし、その3】
白虎堀河河川敷。
昨年軽いトラウマを植え付けられかかった童たちだったが、よほど唐菓子が甘かったのか凝りもせず今年もわらわらと集まっている。
やがて十字の杖を手に妖怪、もとい栗栖摩法師が現れる。
「ああめんつけめんぼくいけめん。はい!」
「ああめんつけめんぼくいけめん」
さすがに学習したのだろう、決して自発的でも楽しそうでもないが、童達は寒空の下洟をすすりながら法師に倣って呪文を唱える。
「ええとですね。昨今、私、妖怪と噂されています。あのね君達、そういう事じゃないんですよね。そういう流行の仕方は求めてないんですよね。ありていに言ってもうお天道様じゃなくて僕に感謝してほしいんですよね。そのあたりを今後の課題にしてほしいんですけどね」
今年は菓子ではなく説教から入っている。
さすがに三年間のうちに童の中にも成長している者もいて、明らかに怪訝な表情を浮かべながら菓子が入っているであろう袋を凝視している。
無論、そういう成長を感じ取れない法師ではなかった。
「ふん。所詮は餓鬼か。もういいや」
法師は心中で吐き捨てると唐菓子を配り始めた。
最後の配布と決めた『その』菓子、を。
 
???「そこまでです」
 
と、物影より強面の集団を率いて現れる美熟女尼僧。
彼女が貧民窟いちの権力者である事実など法師は知る由もない。
ただただ放免の得物を突きつけられ、腰を抜かすだけだ。
 
童1「虫女尼さま!」
童2「こわかったよお!」
童3「キモかったよお!」
童4「キッツかったよお!」
虫女尼「よく頑張りましたね。皆のお陰で街を騒がす妖怪を退治できます」
 
虫女尼は童たちを下がらせると氷の微笑を法師に向ける。
 
虫女尼「その菓子は私が引き取ります」
 
放免の一人が法師から菓子を引っ手繰ると、辺りをうろついていた野良犬に放り投げる。
犬は菓子を喰らうとキュンと小さく鳴き、苦しそうに震え、腰を下げ、ドバドバッと脱糞して、爽快に去って行った。
 
虫女尼「何という即効性」
栗栖摩法師「べ、別に毒じゃないし! むしろ薬だし!」
虫女尼「健康な子供に腹の薬などいりませぬ!」
耶蘇門徒1「何たる嫌がらせか。我が宗門の面汚しめ」
 
乞食僧の一群が放免の背より法師に礫を投げる。
 
栗栖摩法師「う、うぬら! 汝の隣人を愛すのではないのか!」
耶蘇門徒1「貴様だけは愛せぬ!」
耶蘇門徒2「童に手をかけるとは!」
耶蘇門徒3「地獄へ落ちろ!」
 
礫の雨あられを浴び、のたうち回る法師。
と、白髭がズルリと落ちて、頭巾が外れる。
その正体は青白く卑屈な顔をした醜男であった。
 
栗栖摩法師?「何故だあ! 何故誰も僕を愛してくれないんだあ!」
 
いきなりの号泣カムアウトに困惑する一同。
 
栗栖摩法師?「景教の書に記されていたんだ。神の子が復活せし日に功徳を積めば幸せになれると」
耶蘇門徒1「我が主の言葉に左様な教えなどない!」
耶蘇門徒2「どこをどう斜め読みすればそんな身勝手な解釈に至るのだ!」
耶蘇門徒3「地獄へ落ちろ!」
栗栖摩法師?「お前さっきから地獄地獄うるせえな! 顔覚えたからな乞食野郎!」
虫女尼「そうやって下を蔑み上を妬む者を誰が愛しましょう?」
栗栖摩法師?「……!」
虫女尼「私は耶蘇の教えも聖夜なるものもよく分かりませぬ。ですが子供達にその意味を教え諭すなら『一年の間良い子にしていれば、きっとこの夜に素敵な贈り物がありますよ』そう話す事でしょう」
 
氷の微笑はいつの間にか温かい笑顔に変わっている。
法師を騙った青年は、ただうなだれるだけだった。
 
栗栖摩法師?「……僕も一年頑張れば、何か贈り物をもらえるかな?」
虫女尼「ふふ。動機は不純ですが、存外積善というものはそういう所より始まるのかも知れませんね。ためしに耶蘇門徒の下で功徳を積んでみてはいかがです?」
耶蘇門徒1「うむ。悔い改めるならば門戸を開こうぞ」
耶蘇門徒2「罪知る者は幸いである」
耶蘇門徒3「ともに天国へ行こう」
 
悩める青年が今まさに乞食僧に手を差し出したその時だった。
軽快なヒズメの音と共に、駿馬に跨る貴公子の一団が現れた。
 
貴公子「やはりここであったか」
栗栖摩法師?「ひ、広澄!」
 
馬上の貴公子たちに見下され、慌てて顔を隠す青年。
 
広澄「調べはついていたんだ。お前が都を賑わす意味不明、もとい正体不明の栗栖摩法師ということはな」
虫女尼「皆様は?」
広澄「紀家当主広澄である。馬上にて失礼する」
 
頭を垂れたのはむしろ虫女尼だった。
 
広澄「この者は我が知己にて山戸奇津麿と申す地下。ここ数年心の病に侵され書に塗れて引籠っておったらしいのだが。何たる様か」
奇津麿「麗しき殿上人のお前に我が苦悩は分からぬ」
耶蘇門徒1「その苦悩も我らと共に一心に功徳を積めば晴れましょう」
広澄「おぬし、まことに邪宗門徒に成り果てたか?」
奇津麿「いや、その、まだちょっと考え中で」
広澄「せっかく家を出る元気が出てきたのだから、宴のひとつにでも誘うてやろうと思ったのに。残念だ」
奇津麿「う、宴?」
広澄「俺達が作る時代は殿上地下男女隔てなくむつみ合う時代だ」
奇津麿「だ、だ、男女隔てなく……む、む、む、むつみ合う?」
広澄「その新たな世にお前もともにと思うたが僧籍となり修行を始めるならば致し方ない。息災を祈る」
 
淡々と踵を返す広澄と、曰く新時代の貴公子たち。
 
奇津麿「待って!」
広澄「なんだ」
奇津麿「いや、その新たなる時代……私も力を貸してやろうか?」
広澄「耶蘇の教義を以て土に塗れ民を救うのでは?」
奇津麿「いやいや、私は未だ若輩浅学。神仏の教えを広めるなど畏れ多い。世俗に塗れ人というものを学ぶがまず第一。非人放免穢人の方々、お騒がせいたしました。では失敬」
 
射るような白眼視もなんのそのの態度で奇津麿は貴公子団の末席にささっと連なると、去ってゆく同胞と馬たちの砂ぼこりを払いながらその尻を満面の笑顔で追いかけていった。
 
耶蘇門徒1「なんという軽薄」
耶蘇門徒2「あやつ。ろくでもない未来が待っておろう」
耶蘇門徒3「そして間違いなく地獄に落ちますな」
虫女尼「現世もまた地獄なれば今のうちに地獄慣れしておくもまた賢明」
 
虫女尼の微笑みは再び絶対零度のそれへと戻っていた。

【おはなし、その4】
紀家、庭園を望む縁にて。
真新しい袍を纏い上機嫌な奇津麿と、広澄ら公達。
 
奇津麿「いやいや。持つべきものは古き友、まさかこの私が童参議殿の宴に呼ばれる日が来ようとは」
広澄「半分子供の御守りだがそれは口実。藤橘家と昵懇になれる機会ぞ」
公達1「詩歌音曲に磨きをかけた甲斐がございましたな」
公達2「これぞ貴族が腕の見せ所」
奇津麿「だが地下は私だけだろう? 何となく気が引けるな」
公達3「ではまた引籠るか?」
公達1「或いは修業を積まれますかな? 栗栖摩法師殿」
奇津麿「そ、それはご内密に」
 
公達にからかわれ、必死に笑顔を作る奇津麿。
 
広澄「胸を張れ奇津麿。お前はこの紀広澄が認めた雅楽寮の奇才ぞ。是非宴を盛り上げてくれ。それに」
奇津麿「それに?」
広澄「今一人、地下の姫が参るらしい。かの文章博士の郎女だ」
奇津麿「噂に名高き才女、菅原慧子殿か!」
広澄「変わり者同士、存外気が合うのではないか?」
奇津麿「左様かの? しかし私は長らく引籠っていたゆえ」
広澄「では、しばし俺が間に入ってほぐしてやろう。お前は小心ゆえ酒でも飲んでドーンと構えておれ」
奇津麿「酒は苦手だ……菓子がよい」
公達1「貴族たるもの飲めんでどうする!」
公達2「酒を嗜み宴に花咲かすが愛を語る第一歩ぞ!」
 
公達に促され、酒を煽る奇津麿。
 
奇津麿「愛される……第一歩」
 
やがて山戸奇津麿なる地下貴族の視界は歪み、そしてその人生もまた歪み始めた。

奇津麿「いやいや~楽しい日になりそうだ~。かかかかかっ!」
 
(おわり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?