もう一つの家
【感動のストーリー】中学受験の望みが親の虐待を招きました。残酷な運命から逃げるため、私は万引きや金銭盗みに手を染めました。しかし、児童相談所の人が救いの手を差し伸べてくれました。今は普通の女子高生。過去に傷は残るけど、新たな人生を歩んでいます。
私は小学校4年生までは普通の家庭でした。ところが、中学受験をしたいと言ったのがきっかけに親からの虐待が始まりました。
たぶん、受験をしたいと言ったのに勉強しないから虐待されたと思います。当時の私は親に認めてもらおうと必死でした。そのため塾にも通いたいと言い勉強を毎日していました。
ところが、両親は一流高校、一流大学育ちで祖父母も同じです。
だからなのかどれだけ必死にやっても認めてもらうことはできず、ただただ殴られ蹴られるだけ。
私は何もかもがいやになり受験もやめ塾もやめ、万引きや金銭盗みなど悪いことに手を出してしまいました。
いけないことだとはわかっていました。
だが、どれだけ警察に注意されても止めることはできませんでした。万引きするものは決まってお菓子。盗んだお金で買うのは決まってお菓子。
ずっと我慢してきたお菓子をこれ以上食べれないというほど食べました。
高校生の今、当時を振り返るとかまって欲しかったのかなと思います。
受験もせず、悪い道に踏み出した私を親は見捨てました。
仕事も忙しく面倒見きれないのもわかっていました。
だけど、自分の親からほったらかしにされるのはとても悲しかったです。
どれだけ悪い道に踏み出してもかまってはもらえず、ヒートアップしていきました。
そのため、警察から親に連絡が行き、学校から親に連絡が行き、さすがにほったらかしにするわけにいかなくなった親は暴力をもっとし始め、
生まなきゃよかった。死んじまえば良いのに
と言うようになったのです。
そこからの生活は地獄です。
学校帰れば殴る蹴る。寒い冬でも暑い夏でも外に出して家に入れてもらえず。
そんな時に児童相談所の人が私を保護しにきました。
2ヶ月間一時保護所に入所しました。
どんなに悪いことをしていても暴言暴力を振るのはダメなことだと言うことを知り、私の家はやばかったんだなと思いました。
当時小5の私は児童養護施設に行くという選択肢はなく家に帰る一択でした。
帰っても環境は変わらず、保護されては帰るの繰り返しでした。
そのまま中学2年生になりました。
ある日、機嫌が悪かった私に裸になれと命令をしてきました。
言うことを聞くことしかできない私は服を脱ぎ親の前に立ちました。
そのすぐに突き倒し首を絞めてきました。必死に抜け出したが、包丁を突き刺そうとしてきてそのまま一時保護所に走って逃げました。
家から一時保護所まで4時間半の距離冬の夜中にtシャツ一枚短パンで歩きました。凍えそうな中行った保護所で保護してもらい、そのまま児童養護施設行きの決断をしました。
今もまだトラウマに苦しんでいます。
大人を信用できずに心を封じ何も話せなくなってしまいます。
だが、やっとその事件から一年半経ち、ようやくこの話を施設の職員にしトラウマで困ってることもいいはじめました。
保護所に行った日、児童養護施設に行く決断をしていなかったら今の私はどうなっていたかわからないです。
これから新たな人生を歩き始め、高校生活普通の女子高生として生活をしています。
過去にあったことは消せないし、傷も消せないが、大人を信用し色々なことを相談できるようになれたら良いなと思っています。