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SNS疲れの人たちのための宿

その日の仕事が終わり、自分の部屋に戻ってきたオオノは、大きく伸びをし、机の上のパソコンを開いた。

オオノは、ある宿泊施設を経営している。

デジタルデトックスの店。すなわち、スマホ、特にSNSに振り回されていると感じている人たちに対し、社会の喧騒から離れてリラックスしてもらう趣旨のものだ。

一応断っておくが、これは病院ではなく、あくまでサービス業である。本当に真剣に悩んでいるのであれば専門の病院に行って処方してもらったほうがよほど効果的だ。

ここでは様々な体験をし、楽しんでもらう。ルールは簡単だ。その日はスマホを使わない。写真も撮影しない。これだけである。スマホ含め、カメラや時計もこちらに預けてもらう。写真を撮ればSNSに投稿したくなるし、スマホを触ればどうしてもSNSが気になってしまうからだと説明している。ただ、どうしても使いたい時は係の者に言えば使うことはできるし、使ったからといってペナルティもない。一応スマホは係のものが管理し、電話がかかってきた時だけはその人に知らせて電話に出るかどうかだけ伺う。後から何で知らせてくれなかったのかとクレームを入れられても困るからだ。もちろん、事前に客が電話も知らせる必要がないと言えばその通りにする。要は、デジタルデトックスとは名ばかりで、そこらは客の意向に任せるといったところだ。


SNS全盛期の中、情報の波に揉まれ、疲れ切っている現代人は意外と多い。

パソコンに表示された先月の売り上げと今月と来月の予約状況を見ながら、自分の予測は正しかったとオオノはほくそ笑んだ。少なくとも来月までは予約でいっぱいだ。サービスにかなり力を入れているためそれなりに値段設定は高めだが、それでも希望者は後を絶たない。彼らは、心の片隅で感じているのだと思う。SNSは確かに便利だが、果たして本当の意味で自分の生活を豊かにしたと言えるのだろうか?と。自分がどれだけ充実した生活をしているかアピールし、他者からの評価を気にかける。ネットから離れてしまったほうが、よほど健全な生活を送れるのではないだろうか?と。


この店は10時〜15時がチェックインだ。

何時にチェックインかによって昼食をつけるか、レクリエーションの数を増やすかが変わるため、比較的早くにチェックインする人が多い。レクリエーションとは、アスレチックで遊ぶだとか、ヨガのレッスンだとか様々である。これは日によって変わり(ちなみに明日はスカッシュとボルダリングが入っていた)、リピートの客も飽きないような仕組みになっている。

もちろん宿泊施設にも、暇を感じさせないような仕組みにしている。ボルダリングやジム、スイミングプールなどのスポーツエリア、芸術作品(主に現代アート)を展示している人文学エリア、恐竜や昆虫の標本、模型を展示している自然科学エリアの3つに分け、自由に行動して良いことになっている。施設の外は景色も良いため絵を描く人もいれば、日記やエッセイを書く人も多い。そのため、ロビーに画用紙と絵の具セット、原稿用紙が置かれているのはこの施設の大きな特徴だろうと思う。

提供する食事にも、かなり気を遣っている。彼らは、SNSをたくさん使ってきたが故に疲れてここにいる。つまり普段は比較的SNSに振り回される層、つまりヘビーユーザー層の方に該当し、普通の食事では満足できない人たちなのである。ではどうしているのかといえば、ひと目見ただけでは何を原料にして調理しているのかわからないようにしている。

要は「映え」を意識しているのだ。

例えば、昼食には前菜としてサイコロステーキのようなものを提供している。前菜にサイコロステーキか、と思うが、それをフォークで刺してみると、肉のような弾力感がなく、これは肉ではないことに気づく。これは何だ、となるわけである。食べてみると何だかマッシュポテトのようであるが何か違う。他にも何か味が混ざっている。では一体何を混ぜているのか、また考える時間が始まる。こんな具合に、食にも楽しみを加えることで飽きさせない工夫をしているのである。前述したように、ここではスマホもカメラも禁止であるから、この食事の写真を撮ることはできない。普通であれば写真が拡散され、分析されるのが一般的であるが、ここでは情報の拡散はあくまで言葉によるものだけとしている。文字通り「口コミ」だけということだ。つまり、食べた本人の予想、感想でしかこの食事の情報は得られない。百聞は一見にしかず、という言葉が示す通り、言葉で伝えるのには限界がある。だからその限定性、秘匿性に惹かれ、また新たな客が集まるという仕組みだ。写真を撮らないのに「映え」を意識するのは、こういうところにある。

秘匿性、という単語が出たが、口コミの評価は、自分を含め従業員はかなり意識をしている。

秘密にするのはあくまで「何を提供するか」にとどめ、それ以外のことで質問があれば納得するまで丁寧に答えるようにしている。「透明性」も、今の時代は重要なのだ。

その甲斐もあり、客からの評判は上々だ。

アンケートを実施しているが、最後の感想欄には

「スマホがなくて最初不安だったけど、案外どうにかなるものだと思いました」

「SNSとの関わり方について、今までよりも距離を置こうと思いました」

というのが多い。

しかしSNSを検索してみると、この店に対する感想が溢れている。詳に書いたものの中にはたくさんのいいねをもらっているものも散見され、リプ欄では不特定多数の人からの質問に対して丁寧に返答までしている者も多い。先述した通り、この店はデジタルデトックスの店である。しかし寄ってくるのはSNSの評価を聞いてやってきた客ばかり。

しかし、これで良いのだ、と思う。

人間は所詮自己満足の塊なのだ。

これまでも、そしてこれからも。

周囲には正論を振り翳し、自分のことには目を瞑る、そんな都合の良い動物なのである。彼らがそれに気付いているかどうかは知らないし、知る必要もない。それを知ったところで、自分の売上に何の影響もないからだ。明日も予約の客で忙しい日になる。こんな日が続きさえすれば、自分はそれで良いのだ。

オオノはパソコンを閉じ、寝室へと向かった。

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