ふつう、という価値観
私の教室では
ご家庭での様子を記したもの(成長記録とか課題表とか)を毎月お母さまより任意で提出いただいています。
小学生のお母さまたちからも毎月の記録が提出されます。
その際、私がいつも注目して拝見しているのは
お母さまがお子さまのどこにスポットを当てて「認めて」「ほめて」「愛して」「感動して」おられるのか、という点です。
お子さまの「心の動き」に敏感になって「心の育ち」を見つけられるお母さんになってくださるように、と願うからです。
そして、この、「どこにスポットを当てているか」という点が、お子さまの姿を変化させていく大事なポイントでもあるのです。
成長記録には『今週のほめる言葉』という欄を設けていますが、そこに
「今週も休まずに学校に行けました。」という文言が続いてしまうと「ん?」と気になります。
なぜなら、
「休まずに学校に行けた」に「〇」をつけるということは逆を言うと
「学校に行かなかった」=「×」
あるいは
「学校に行けない子」=「×」という解釈になるからです。
学校に行くことが「◎」
「◎」のことをするとママが喜ぶ・ほめてくれるという価値観で子どもが過ごしてしまうとどうなると思いますか?
嫌なことがあっても、意地悪をされていても、辛くても、困っていてもお母さまに心配をかけたくないから
「行かない」「行けない」と言えず、無理をする。という構図になりますね。
「今週も休まずに学校に行けたね」
は誉め言葉ではなく子どもを追い込む言葉かもしれません。
いや、そうでしょう。
それから、
母「今日は学校でお休みの子いた?」(←コレ聞く必要あるか?って思う)
子「○○ちゃん、休みだった」
母「また、お休みなの?」(←非難に聞こえる)
子「うん」
↑
この何げない会話の中にも
母の
「学校をお休みする」=「×」という価値観が無意識に含まれていますよね。
子どもはそんな些細な
母の「無意識」の価値観をキャッチして自分の価値観にして育っていくんですよ。
行っても、行かなくてもそんなことは大きな問題じゃない。
あなたはそこに存在してるだけで偉大。
生まれて来てくれてありがとう。
これを言葉と態度で伝えてあげると
子どもの「自信」のタンクは無限に大きくなるのです。
みんなと同じだと安心、という感覚、
平均であることが一番素晴らしい、という感覚、
「ふつう」という価値観、
少数派であることへの偏見、
もう、そろそろいいかげん無くなって欲しいと思います。
いただいたサポートは教室の絵本購入に使わせていただきます。