見出し画像

読書メモ12・思いがけず利他

中島岳志さんの「思いがけず利他」。
珍しくちらっと見ただけで購入した本がこちら。

文七元結から始まる利他への疑問。
落語も聴いていた私はスムーズに入っていけた。

ただ、噺の中で、私はあれが「利他」だと思ってなかったんだよなあ。
「家族」は「自」であって、「他」じゃないのかなあって。
順番でいえば、娘という他を救えよ!って。

日本では自分の子どもは所有物・付属物と考えがちだから
家族だから後回し、なのかなあ。

それはどっこらしょと置いておいて、
「人の為に善いことをする」
のは偽善なので、「利他」じゃないよなって私は思っていて。

授乳機構が働いている期間に、赤ん坊の泣き声を聞くと
母乳が勝手に生成されてピューピュー出る。

この本を読んでの「利他」を、私なりのプリミティブな理解によると
こうなった。
「この子のために!」と意気込みなんてまったくなくても
泣き声一つでおっぱいが張ってくる(=母乳生成)。
これがautomaticに行われる。

重鎮、地元の名士、そういうのになってチヤホヤされたい人が
私の勤め先にいるのであるが、
なりたいと思ってウロウロしているが思っているだけで
人望もないのでなれない。
そして人の足を引っ張ったり妬んだりしている。
だから人望もなくて重鎮とか名士になれないスパイラル。
面白いなあって眺めている今日この頃。

人に褒めてもらいたい、チヤホヤされたい。
そのために何かを人に「してあげる」。
してもらった方は何となく負い目を感じる。
してあげた方はお礼を期待する。

これが贈与の罠らしい。
なるほど、罠にはめようとしているのだな、件の彼は。

私はずいぶん前に、この罠から脱出した生活を送っている。
「私が」あなたの喜ぶ顔を見たい。
「私が」あなたの喜ぶ顔を見て幸せな気持ちになりたい。
プレゼントを選ぶ時間、「私が」楽しい。

という自分勝手さをベースに据えているので、
心の生活がかなり楽。

そりゃあ、生きてると「オツキアイ」もあるので
それなりに「お返し」もする場合もある。
けど、私の中でそれはオフィシャル系。
プライベート系では利他どころか自分勝手ベース。

たまに、困っている人に声をかけたりすることがある。
「何かお手伝いできることはありますか?」と。
私はものすごい人見知りだ。話しかけるのにも気も狂わんばかりに心臓がばくばくする。けど、困っていそうな人と目が合ったら体は動く。

そんな自分の行動で相手の人が「ありがとう」って言ってくれた時
私は数日は嬉しい気持ちでいられる。
「こちらこそありがとうございます」と言う。
あなたこそ、「ありがとう」という言葉で私をずっと幸せにしてくれてる。
お互い様だしね、そもそも。
だから私は行動を起こすとき、
「人の為」ではなく、「自分の為」だけにしてる。

私が子育てを長く経験して、
「子どものために」
という罠があちこちにあると感じていたので、
それをまた久しぶりに考える機会になった。
同じ分量の愛をお返しされなかったら子どものことが嫌いになる?
「それは、自分のため?相手のため?」
と、育児の間は特に自分に何度も問うてきた。
子どもを出しに、言い訳に、とにかく利用してないかって。
清廉潔癖とは全然言わないし、答えなんかないんだけどさ。

自動的におっぱい張った(わが子の声だけに反応して夜中に目が覚めるでもいい)ことが
他を利することがあるかもしれない。ないかもしれない。
将来いいことが待っていようと、そうではなかろうと、
毎日寝不足と闘いながら、かわえええ~ともなりながら授乳してる。
そんなイメージ。利他。

禍福は糾える縄の如し。
良いことも悪いことも毎日生き延びてたら
気づいたらそこに縄ができてる!
縄にまでなったら、結構使えるんじゃない?
長くなっちゃった。

おしまい。


この記事が参加している募集

よろしければ投げ銭をこちらへお願いします。 投げ銭をくださるあなたにも私以上の喜びがありますように。