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映画メモ76「パリタクシー」

会いたい人は、そこにいるのかしらね。
きっとそうね。

その日まで私も生きなくてはいけない。
必死に生きないけど、生きるのが終わる日まで
生きなくてはいけない。

傷付いてもうダメだと立ち上がれない
生きる気力が失せることが起きても
人との出会いで何かが決定的に変わることがある。

生きていける気がすることもあるし
世界を信じられるようになることもある。

大事な人なんだ、愛する人を会わせたいんだという
シャルルの想いだけがシャルルの得たかけがえのないもので
人との出会いに私も何度でも希望を持つ。

あなたは私じゃない。
私はあなたじゃない。
ただそれだけで始まることがたくさんある。

人間と付き合うことをコスパが悪いというのは
人間の捉え方の浅薄さからくるのかな。
お腹いっぱいになる付き合いしかできないからかな。
分からないけど、男女だけでなく
人間が、人間と出会うということを
私は素晴らしいものだと思っている。

歳を重ねると「分かってる」気になってしまって
新しい人との出会いを逃してしまいがち。
ステレオタイプの箱に人間を詰め込んで
考えることをサボろうとしてしまう。

過敏な子どもだった私は
ありとあらゆることに傷付くようだった。
心を覆う皮膚を忘れたかのようなヒリヒリとした感覚を
常に持って痛みと共に生きていた。
怒りっぽかったし、実際に怒っていたし
怒りは私の背中を押す要素だった。

歳を重ねて、いろんなことに「慣れて」きて
あまり傷付かなくなってきた。
悲しむことはあっても、過剰には傷付かない。
皮膚ができたのだ。
再生ではなく、新生した。
感動するほど生きやすい。

ああそうか、自傷といっても良かったのかもしれないな、
若い頃の過敏さは。
物心ついた時から皮膚がないんだから
動けば自傷みたいなものか。
「ある」状態が分からないのだ。

生きやすい心の在り方を学んできたであろう今になって
あの頃のヒリヒリ感を思い出せと言われても
遠い昔すぎてうまくできない。
きっとそれでいい。

気持ちのアップダウンの激しさも
今やったら結構「死に至る病」になるんじゃない?
心臓に悪そう。

ヒリヒリしない今も人間との出会いを
いつでも逃さないような姿勢で生きたいな。

とはいえ腰は重いし
人との距離の取り方は今も分からない。

ただ、気付いたら友達に
「大好きです、いつもありがとう」
と伝えることはいつもしている。
それしかできないから。

うまくはできなくても、

シャルルが配偶者の話をする時の顔が私を幸せにした。
私のことをそういう顔で話してくれる人はいるのだろうか。
シャルルは、幸せな男だよ。うん。
心にやさしい映画と思う。

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