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読書メモ13・「人間嫌い」のルール

中島義道さん著書と「初めまして」。
人間嫌いというからには、人間が好きなんだろうと思って手に取る。

そもそも、人間嫌いな人は哲学などやりはしないのではないか?
と読みながら感じていたけど、読み終わったらやっぱりそうだよなって思った。
著者はとても人間が好きで、人間の営みが好きで
ゆえに非常に誠実で、誠実すぎるほど誠実であり純粋に人間を好いている。

だから、嘘なんてつきたくないのだ。
思ってもないことは、言いたくもないのだ。

私は援助職、ではないけれど、
仕事として誰かをサポートする、みたいなお仕事をしていたことがある。
今も部内をサポートしているので、不特定多数かそうでないかの違いだけで
基本的にサポートしてる仕事をしているのかもしれない。
家では子どもが育つのを助けていた(成人した)。
ただ、この本によると私はとても人間嫌い部員である。

援助する、というと
あれこれ言ったり、物理的に手助けしたりを思い浮かべるかもしれないが
今までの経験で一番良かったなあと思うのは
「そばにいる」
ただこれだけ。
そば、というか、傍がいいかな。傍らに、ただ、存在しているという形。

ずかずか踏み込むこともなく
激しく肯定もしないし、まず否定もしない。
私もそうして欲しくないからだけど。
黙って手をつないでもいい。
黙って同じ方向を見ているのでもいい。
傍にいる。
その安心感だけで、人は動けるようになったりもする。

それでご飯を食べているときは、そうしながらも注意深く
記録に書ける程度には観察しなくてはならない。
だけど、プライベートでも、こういうスタンスの方が実際に
役に立ったことの経験の方が多くなってきた。

それらを思い出すような、人間大好きという内容の
「人間嫌い」のルール。

まとめのところに10のルールが書かれているが
「人間嫌いのルール 第9 自分を「正しい」と思ってはならない」
とある。
この本のレビューには、このルールに反したようなものがたくさん見られて、しかも本人たちは「我こそが人間嫌いだ」とこき下ろしている。
「愚かなルサンチマン」と書かれて傷付いてしまったのかもしれない。
期待したがゆえに、勝手にがっかりして怒り始めたり。

人間はこうも人間のことが好きで、
本当に愛おしい存在であるなあとしみじみと思ってしまう本。

「大好き」は箱や檻に入れているつもりでも
実は空っぽだったり
実はぎゅうぎゅう詰めになってたまにポロンポロンと溢れたり。

顔が千差万別あるように、
同じ考え方なわけもない。
著者は誠実に、真摯に心を込めて人間に対峙している。

「人間嫌い」は、哲学などやらないだろう。
この本のタイトルに騙されたと言う場合、
裏表紙の著者略歴を読まなかったことに起因すると思う。
「哲学博士」
って、書いてあるもん。
ヒトではなく、人間というものに
真摯に向き合ってなければできない学問の分野で、
嫌いなら、そんなんできないと思うな、私は。

人体の本を読むとヒトを愛おしく思うけれど
この本を読むと、人間を愛おしく思える。

おしまい。

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