映画メモ62「鹿の王」
偶蹄目シリーズ。
こちらは狂犬病についての勉強(にはならない)ついでの鑑賞。
本のシリーズは面白そうだけど長いので映画で見てみよう!と
ズルをしたのが悪かったんだなすみません、というのが感想。
ハリー・ポッターだって、映画にすると小さなところが
どうしても端折られちゃって寂しかったじゃないの。
そんなこと言ったら指輪物語だって3部作にしても寂しい。
というわけで同じような反省をしてしまったのだった。
読んでから見たらいいのかもしれない。(本末転倒)
拾った子を我が子だと言うのはすごくいいね。
血のつながりなど、どうでもいいし。
私は4人の子の生物学的な母であるけれど
母親であるのは2人の子どもだけ。
かわいくないとかそういう問題ではない。
たかが産んだとか、
それだけで不適切な養育をしてもなお
「母!」
みたいなこともたくさんあるし、
なんなら育ててない私は恥ずかしくてちょっと言えない。
生物学的な母であることは、
母親ではない。
そんな私が養子を育てるとかは無理なんだけどさ。
それでも、いいなあ、赤ちゃん・・・と思うのだ。
映画は赤ちゃんは全く関係なくて、
草とか鹿とか、狂犬病とか
政治だとかいろいろあるんだけど
寄り集まって家族になってくのとか、好きなんだよなー。
私には家族がいないからね。
が、しかし。
おおかみこどもですか!?
ってか、鹿!?
まあ、鹿は神様の使いだし?←鹿島神宮が近所だった
犬を引き連れていてもいいのかもしれなくても
いや、なんでよ!?
ということになるので、本を読んでから見た方がいいんだろうなと。
私を「母親」と認識している息子たちの方からしたら
私はヴァンくらいに強いお母さんに見えてるんだろう。
なんか、絶大な信頼を寄せてくれている。
絶対護ってくれる、と。
特に上の子。
小さい頃、私の顔を見たら安心して出かけていく子だった。
下の子は下の子で
「母に愛されし子」という一人称で表現できるくらいの
「え?ぼく、愛されてるしね」
という自信に満ち溢れている。
愛されなくて思い悩んだ私が育てたとは思えないふたり。
とはいえ親子は血のつながりなんか、いらないよ。
ニンジンいらないよ(コウ・ウラキ)。
おしまい
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