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映画3・苦役列車

「苦役列車」という映画をたまたま見て
実は1度目は挫折。
というか放送が確か遅い時間で眠ってしまったような・・・。
続きが見たい~というわけで、再挑戦。

もうもうもうもう、森山未來を観る映画。

腐臭を放つほど育ちに育った自意識を持て余して
それでいて「明日から本気出す」ような毎日。

親が性犯罪者って、きついよなあ・・・。
結婚指輪してるおじさんが痴漢するけど
ほんと、おじさんはこれ観た方がいいんじゃないか?
あんたの子どもがこうなったらさあ、って。
まぁそんなんで止められたら、そもそも卑劣な犯罪しないか。

というくらい、下衆、下品。
最近はいないけど、私が小さい頃に見ていた
「おじさん」がそこにいた。

小さい頃、そこら中にいっぱいいた
ビニールでカバーされた紙袋を後生大事に抱えるような、
それでいて雑に扱うような
斜に構えながら、本当は俺はすごいんだぜと
弱いものに威張り散らす、そういう「おじさん」。

私はとても貧乏な育ちなので銭湯通いなんだけど、
そういうおじさんたちは、銭湯付属のコインランドリーにいた。
小さい頃は本当に怖かった。
いつもワンカップ飲んでるし。

おじさんになる前、まだ若い北町貫多の青春の日々。
何かを手にしてはすぐに手放す。
人や立場に対しての責任が怖くて、手にしていられない。
そのくせ寂しい。
自分を孤立へ追いやってしまう。

本だけは読む。
ほぼ中卒の私もずっとそうだった。
本だけは読んでいた。
書きたいという欲求が溢れたときに
人は真摯に文学に向き合うのではないかと思っていて
そういうものこそが、人の胸を打つのではないかとも。
そんな文章が書ける人になれたらと私も思うけれど
コップから溢れることはないまま半世紀を生きている。

だから、孤立と孤独、夢と希望に追い詰められて
崖から飛び降りるように書き始めるラストは
羨ましかった。
「そういうもの」が、彼にはあるのだから。

北町貫多のすべてが、胸糞が悪い。
だけど目が離せない。
頭を、胸を、ケツを、
かきむしりたくなるのだ。
胸は、心臓をもかきむしりたくなる。
焦燥感なのだろうか。
共感性羞恥のせいなのだろうか。
「うわあああああ!」と叫んで
とにかくかきむしりたくなるし
穴があったら入りたくなる。

そんな思いをさせてくれる演技を
森山未來はしてくれたのであった。

露悪的である必要は何ひとつないけれど、
そうでなきゃ一時たりとも
立ってもいられない気持ちなのだとしたら
分かる気はする。
原作、怖くて読めない気もするけど
挑戦してみよう、かな・・・。

かきむしった胸の傷がかさぶたになった頃にでも。

おしまい


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