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12月16日 ベートーベン・第九・クリスマス (#カトリック歳時記)

ベートーベンの誕生日です。ジャジャジャジャーン(=第九)

ベートーベンはドイツの音楽家で1770年の12月16日に生まれて、カトリックの洗礼を受けました。信仰熱心の人物とは思われませんでしたが、よく調べてみると、生涯に二曲ほどミサの音楽を作曲していました。私が知らないだけで、もしかしたら信仰深かったのかもしれません。真相はどうなんでしょうか。

カトリックには7つ『秘跡』と言われる儀式がありますが、ベートーベンは亡くなる前に、最後の秘跡を受けたそうです。今更ながらですが、カトリックとして生まれ、カトリックとして亡くなる、というベートーベンのプライベートな生活を全く知りませんでした。ドイツ・イコール・ルター(宗教革命家)というイメージでしたので、えぇ?ベートーベンがカトリック教徒?正直言って意外でした。

ベートーベンといえば交響曲第9番の "Ode to Joy" (歓喜の歌)でしょうか。日本ではよくクリスマスに第九のコンサートが行われます。なぜだろう?と思った方はいらっしゃいますか。

実は第一次世界大戦中、日本の徳島県にあったドイツ兵収容所で、兵士がコンサートを開いたのがきっかけで日本人が知るようになったそうです。『和楽』という雑誌にその背景が書かれていました。https://intojapanwaraku.com/culture/57791/


収容所のパフォーマンスは6月と書かれていました。ではなぜ12月になったのでしょうか。


いろんなエピソードが言われていますが、正解はベートーベンのお誕生日!だと私は勝手に思い込むことにしました。それはなぜか。ベートーベンの多くの作品の解釈には、彼の宗教観・人生観・道徳観を無しに考えられないからです。素人の私にとっては、ベートーベンのような作曲家は奇跡のような人です。これから、12月のAdventアドベント(=クリスマス準備期間)の時期に、ベートーベンの本を読んだり音楽を聴いたりしてみよう。人生の楽しみが増えた❤️

我が実家は音楽家でも上流階級でもなんでもありませんが、父親と叔母が音楽大好きで、車で移動する際、よくクラッシックの音楽が流れました。叔母・母はピアノも弾きました(初ー中レベル)。母がいつもピアノを弾いていたので、私もなんとなく弾くようになり、幼稚園の年長からピアノ教室に通いました。そのピアノの先生の家は、我が家から自転車で十分の閑静な住宅地にありました。忘れもしない、大島先生。とても優しい先生で怒った顔を見たことは一度もありませんでした。中二で引越しするまでの八年間、毎週、自転車で通いました。その時代、子供たちの移動は自転車でした。近所で車を運転する母親など全くいませんでした。

大島先生の大好きな作曲家は、ベートーベン。なぜかリサイタルはいつもベートーベンの曲。他の曲と違ってドラマチックだったので、子供の私もなんとなく好きでした。ちょっと暗いな〜このおっさんの曲は!と思ったことは何度もありましたが。

そして大人になった私。ベートーベンの曲を聴くと心が癒されます。子供時代の温かい思い出が込み上げてきます。最近『この人は、人の心の痛み、喜び、寂しさを音楽で表現できる人だったんだ』とようやく思えるようになりました。特に『心の痛み』の表現。歳を重ねるにつれて、心がギシギシと痛むことがあります(人はトラウマと言います)。そんな時はベートーベン。ピアノのソナタを弾いてみて下さい。ベートーベンの交響曲を聴いてみて下さい。彼が上手に代弁してくれます。なぜか『あ!そうだったのか!』と思う気持ちにさせてくれます。傷ついた心を癒してくれます。音楽って不思議ですね。ロジックや知識でなくて、感覚なのです。

子供時代⇔ピアノ⇔大島先生⇔ベートーベン、そしてカトリック。クリスマス到来の歓喜。カトリック歳時記は、私の人生の点と点を豊かに繋げてくれます。


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