9月9日

今日は勉強になりました。(禅塾生活残り5日)
朝の当番は久しぶりに堂内清掃がないと思って気を抜いていたらGさんがやって来て、「終わったら手伝いなさい」と言いました。Gさんも流石に体力的にきているようにみえたので、明日から掃除でできる部分は手伝おうと思いました。

その後は清掃をこなして老師と神戸三宮の方まで出かけました。今日お邪魔したお寺は祥福寺という名前でとても立派な作りでした。自分が普段掃除をしているからこそ堂内を始め、門から伸びる通りや庭の様子をみてもとても綺麗に掃除が行き渡っていることがわかりました。お寺に入ると修行僧と思われる若い方が声をかけてくださりました。老師が要件を伝えるとそこから駆け足で副司(修行僧の中のトップ的な人)のところへ走っていって寺中に聞こえるような声で「お願いいたします!」と叫んで用事を伝えた後は「ありがとうございました!」といって再び駆け足で戻って来ました。とても緊張感があってまさに修行といった雰囲気を感じました。副司の話によると現在修行僧は15人いて、うち花園学園大学を卒業してここに来たという方が多いようです。また彼自身は8年間修行僧として生活していると言っていました。老師によると普通修行僧は3年もいれば資格が十分に取れるし、1年で終える人がほとんどということだったのでその方はかなり全国的に規模の大きい、有名なお寺に行くことを目指しているかもしくは自主的に修行されているかのどちらかだとのことです。副司の話の途中にも修行僧がたくさん通りかかってその度にこちらに向かって「お願いいたします」と叫んでいました。よくみているとやたらと体格のいい人ばかりが通り過ぎるので、考えてみると花園学園はラグビーが強い学校でした。そのためラグビー部を経てこの寺で修行僧になるという流れがあるように思われました。自分は長岡禅塾で20日以上生活して来ましたがこれまでは全くもって修行とはいえないものだったのだと実感しました。やはり修行僧にもプロとアマチュアがあるんだと思いました。そしてこのようにして厳しい訓練を受けて住職になられた方達だからこそ冠婚葬祭に立ち会うことができるのだと思いました。

禅塾に戻る前に老師が何か美味しいものを食べて帰ろうと言ってステーキ丼のお店に連れて言ってくれました。この時ばかりは修行関係なく、人生の先輩として飯を奢ると言った感じで行ってくれました。席に着くとメニューを決めた後、「ビールは飲まんのかね?」といって昼間っからビールを勧めて来ました。Gさんも昼からビールを飲むようなことを行っていたのでお寺の人間は昼にビールを飲むようです。料理が出て来るまでこれまでの話をしました。「大学を変えたい言い出した時、親は何か言わんかったか」とか「いつまでも親の脛もかじっとられんな」とか本来友達同士で交わすにはかなり重い内容の会話でしたが、なぜか老師と話していると日常会話のように話が進んで、自分も等身大で語れるのでした。印象に残った言葉は「自分の思ったことは考えとってもしゃあないから、何でもやってみんとな、若いんやからやらなダメやで」って言ってくれたことです。これは自分が今現在、学校での方針や就職について考える時期にあることを言ってあったので老師もそれを後押ししてくれているようでした。しかし老師はこれを「自分の人生なんだから自分で決めなさい」と言った感覚でいうのではなくで、もうそういうもんなんだ、と決まっていることのように言ってくれました。自分もその口調に吹っ切れたものを感じました。今まで自分は多少行動をして来た部分もありましたがそれでも結果を考えてじっとしている時間もありました。そのためこれからは行動を先に起こして考えるのは後でもいいと思いました。作務をやっている時だって何かを欲してやっているわけではなくてとりあえず言われたことに飛び込んだからこそ、今思えば学ぶことが多かったです。自分が思っている以上に時間は限られていること、細かいところに徹底する大事さ、一方で効率を求めて頭を使うこと、何事にも集中しないと成果が得られないこと、などたくさんありました。まだ禅塾生活は終わっていないのですが改めて感謝の気持ちでいっぱいです。ここに来る前は自分の将来に向かうモチベーションが皆無だったのに対し、今ではあふれんばかりのビジョンがあります。要するに昼から飲むビールはうまいってことです。青椒肉絲。

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