9月12日

今日はラストスパートをかけました。(禅塾生活残り2日)
朝起きて禅堂に向かうとI先生がすでに座禅されていました。昨日の亡霊の正体はI先生だったようです。失礼いたしました。いつもは土曜日の朝に参禅されるのですが今週は土曜日に座禅会がある関係で今日お越しになったとのことです。とてもいい姿勢でした。帰り際に「いつも頑張っていますね」と声をかけていただきました。続いて「12月には接心があるからぜひおいでよ」と誘われました。もうこんなことを言われてしまってはいくしかありません。はい、行きます、大接心。

今日の清掃では畑の裏の草刈りをしました。もう雑草というよりは一面が草で覆われているところで、もう刈っても刈っても終わりませんでした。Gさんは今日も病院へ行かれるとのことで早めに作業を終えましたがなかなかに大変な作業でした。自分が禅塾を後にした時にGさんが無理して一人で作業し、倒れないかどうか心配です。そして今日も清掃の時には「お茶を買いに行こう」といって缶コーヒーを奢っていただきました。毎回自動販売機にいくまでのわずかな距離で「暑い」だの「草引ききりがない」だのつぶやいているGさんですが考えてみると来週からまた一人でこの作業を繰り返すことになります。そうなると気持ち的にも萎えるのもわかります。もしかしたら自分のようなできない人間がいなくなってさっぱりしているかもしれませんが、それでもどこかでこれからのことを考えてはネゲティブ担っている部分があるように思われます。自分には応援することしかできませんし、僧侶である以上、応援するというのもどこかおかしな気がします。これに関しては一方的にお世話になったとしか言いようがありません。いつか学校を卒業し、何か自分の落ち着く場所に巡り会えた時ビールでも送ろうかと思いました。

日中は河原町へ出かけてご飯を食べました。この河原町を含め阪急線の光景は徐々に地元であるかのように見慣れてきたものです。ふと考えてみると自分の家以外の場所で長期間過ごすのは今回の禅寺が最長かもしれません。修学旅行やその他遠出に関しても長くて1週間ですし、アメリカにホームステイにいった時も一10日あまりでした。こんなにも長く家に帰らないとついこちらが家にような感覚になってきました。それでもやはり自分の家に戻って落ち着きたいという感覚があります。最後の日はおそらくいつも「いってまいります」といって出てくる禅寺の玄関を「ありがとうございました」といって去ることになります。そして長岡天神駅まで歩く道のりもお出かけではなく帰路になります。少し寂しい気持ちを覚えます。しかしそれは考え方によっては自分が今までにない思考を抱えたとも言えます。久しぶりに帰る実家、そしてアパートをみて自分が何を思うのか気になるところです。

晩課清掃で門の前を履いている時、ある女性の方に「ありがとうございます」と声をかけられました。若いお母さんでした。自分は少し違和感を覚えました。以前なら自分の時間を掃除に費やしてやった、くらいの気持ちでいたのですが今そのような状況にあって感謝されるのはおかしいと思いました。もっと言えば自分がそれだけこれ見よがしに掃除をしていたのかと思ってしまいました。さらにはこうして人に気づかれて言葉をかけられているうちは自分の徳は作れないと思いました。こんなにわかりやすい形で自分の行いが評価されては仕方ありません。長年ストックしていくことで初めて自分の軸となり何かしらの行動を支えるきっかけになるべきです。Gさんに言われてからずっと、徳については考えてきましたが今日のあの瞬間はまさに考えさせられた場面でした。これからもこれについては考えを巡らせたいです。

今日はこれから片付けをします。明日はやりたくないので。ついに一ヶ月お世話になった部屋とお別れです。蚊も入ってくりゃ大したものも置いてない部屋はしばらく結構です。その代わり全力で綺麗にして返したいです。そして次に使う人にはまた違った禅塾の歴史を築いてもらいたいです。それでも今度お世話になることがあればまたこの部屋を選びたいと思うのも事実です。こうしてまた意味もなく、辛い生活に心が傾いてしまいそうで自分の弱さなのか強さなのかわからないものを感じます。だからラストスパートというわけです。SEIYUの惣菜とI先生がくれたパン。

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