9月11日

今日は発見しました。(禅塾生活残り3日)
朝の窓開けはかなりスムーズにいき、座禅もある程度集中できました。例によって座禅の後半では般若心経の暗記をしていました。今日はかなりゆっくりと、思い出しながらですが一通り唱えることができるようになりました。せっかく覚えたので毎朝一通りでもいいから唱え続けていつでも披露できるようにしたいです。と言っても今週末に禅塾を出たら次に披露するのは12月の大接心の時だと思います。それまでせっかく覚えた座禅、数息観、般若心経を少しずつ実践していきたいです。

清掃では書院の掃除をしました。相変わらず細かな部分を見落とさないよう注意を受けました。こればかりは相当に意識してもまだ足りない部分のようです。自分はそもそも仕事をいかにはやくこなせるかを考えている一方で細かな部分をいかに追求するかをあまり考えていませんでした。Gさんに指摘されると確かにわずかな埃が溜まっていたり、改善の余地が残っていたりします。これはもちろん普段生活していて気になる点ではないのですが、後々こういった細かな点を綺麗にしておくことで気持ちがいいだろうという程度です。この徹底した先を見越した清掃こそこれまでずっと求められてきたものだと思いました。たかが一月寺で生活しただけではなかなか身につくものではありませんが、ある意味掃除はどこでもできることです。アパートでも実家でも学校でもバイト先でもどこでもできます。ひとつ、職人にでもなったつもりで清掃に力を入れたいです。そして細かな気遣いの基礎を築きたいです。

日中は秋学期の選抜課題に取り組んでいました。残しておいた課題の一つに「自分の手のデッサン」がありました。これは主に陰影を加えて鉛筆でデッサンするという課題ですが、ここでも自分の大雑把な部分が出ました。ただ手を描くだけでもかなりの要素が組み込まれています。陰影をはじめ、手のシワや筋肉、爪、皮膚の厚み、血管などいくらでも追求できる対象でした。でもなぜか自分は完成を急いでしまってなかなか細かな点に気を配った描写ができませんでした。明日からはもっと気合いを入れて課題に取り組んでみたいと思います。一方で自分が将来的に携わりたいデザインやアートといった点について講義を検索しているとかなり面白そうな取り組みが見つかりました。今は漠然と思い描く、デザイナー志望を具体化していくのに最適な環境だと思いました。しばらくこれに集中して学生生活を送りたいと思いました。この禅塾での一番の学びは何と言っても集中心です。今までの自分は今回のように何かしらの興味分野を見つけてもそれ以外の部分にも無理に携わろうとして結局実るものがありませんでした。そのため今回は最低限、今まで続けてきたことやバイトや自分の生活を保障した上でかなりの部分を費やしてみようと思います。これが仮に失敗してもそれは後悔にはならないように思います。一ヶ月自分が禅塾でわずかながら培ったもので戦います。

ちょっと打つ手が止まりました。大まかに言えばいつも説明することが同じです。思うことも同じです。そもそもやっている作業や生活リズムが一定なので無理のない話です。なぜかここにきて家に帰りたくなってきました。あと少しと思うと気が抜けてはやくこの緊張感から解き放たれたいという考えが出てきました。もちろんやりきりますが今実家に変えれば一旦はソファにだらっと座って過ごしたいです。そしてしばらく休んだら今度はこの禅塾が恋しくなって体で覚えた清掃を今度は実家でやってみたくなると思います。そして神奈川に戻った時も同様に秋学期の準備が済んだらまずは片付けをしたいです。今日なんとなくここで学んだことは時々自分がこの一ヶ月を恋しくなることで時折発動するものではないかと思いました。はやく実際を確かめてみたいものです。とはいいながらまだ頑張ります。SEIYUの弁当。

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