9月14日

今日はお別れの日でした。(禅塾生活最終日)

朝の座禅にはとても落ち着いた気持ちで望めました。昨日から暑さがおさまって座禅をするのにちょうどいい気温となって来ました。Oさんもおっしゃっていましたが季節が変わると座禅をする空間としてもまた感覚が変わって来て味があると思いました。

清掃では門の前の掃き掃除をしました。取り組み前のお茶タイムではGさんが例のごとくコーヒーを買ってくれました。少し遠くにある神社の境内で買ってベンチで飲みました。今日はいつもよりも話が長くて「人っていうのは不思議だね」とか「最近の医療はすごいね」などまたおっちゃん感溢れる会話に付き合いました。後にAさんも言っていましたが、これからは寺の仕事をGさん一人でこなしていくことになるので、寂しそうです。もちろん自分から「寂しい」とは言っていませんでしたが普通に考えればこれから果てしなく寺にいることを思えば当然寂しいことです。そんなことを考えながら清掃をしましたが、今日は自分の部屋を片付ける時間にしてほしいということですぐに終わりました。

その後は座禅会に参加しました。今回は少し人数が増えて15人ほどで座禅をしました。自分はここへ来た当初に座禅を習っていたので、周りの方のやり方が違うといちいち気になっているのでした。ただこの座禅会に参加したことで改めてこう言った活動は高齢者にしか人気がないんだと思いました。といよりもそう言った時間と環境を用意できるのはある程度人生も落ち着いた老後になってしまうのかと思いました。自分も今回の経験を発信してできるだけ多くの人に座禅のことそして、禅塾ことを知ってもらいたいです。座禅中はいつもは数息観と言って心の中でひたすら数を数えるのですが今日はせっかくなのでここに来た日から今日までのことを振り返っていました。


一番初めに面接でここを訪れた時は思ったよりもはるかに立派な建物でこれからの生活に期待が高まったのを覚えています。そして老師とは図書室で初めてお会いし、その後に禅塾を案内していただきました。その頃から建物に関して印象は全く変わっていません。というのも中で生活を始めることで実は掃除が行き届いていない部分とか、寺の雰囲気がおもいきり無視されている部屋などがあると思っていたのですが、全くそう言った箇所はありませんでした。以前も、そして今もとても厳粛で綺麗に整えられた場所という印象です。


人に関して言えば初めにGさんに会った時はかなり印象に残っています。というのも寺にはインターホンもなくてどうしていいか分からずに、ただずかずかと中に入って行って、普通の家なら不法侵入だと思いながらも歩いていくと急に襖が開いて体格のいいおじさんがこっちを見て低い声で「え、誰。」と言いました。そこで自分は焦って「ショートステイでお世話になります、山口です。」と言いましたが知らない人が急に部屋の前を歩いているのを見つけたテンションでなかったのでその落ち着きぶりに違和感を覚えるほどでした。そこから徐々に登場人物が増えていきました。週に一回参禅されるI先生、座禅会の取りまとめをしているAさん、大学生のOさん、スリランカからおいでのSさんなどなど普段会わないような人に出会いました。自分が思っているよりも寺という場所は閉ざされている空間ではなく、目的を持った人が自由に集まる場所でした。今までに禅塾で生活されて来た方々もそれぞれ違った分野、方面にて活躍されているという話を聞きました。そして自分も一旦は禅塾に携わった人として何かを成し遂げて見たいと強く思うのでした。

生活は自分が思っていたよりも規律正しいものでした。朝5:00の打板に始まって朝食、清掃、晩課清掃、21:00の打板、戸締りとこの一ヶ月間、1分たりとも狂いのない生活をしました。これほど時計を確認して時間に集中したことは今までありませんでしたし、これからも滅多にないと思います。


そして何より寺に来てわかったことは自分は自分のことを全くわかっていなかったということでです。大人であるなら、そして社会人であるなら、自分のことはしっかり把握しておくべきだと考えていましたし、ある程度であれば自分のことをわかっているつもりでした。しかし禅寺では自分の足りない部分が徹底的に洗い出されて、がちがちにルールに縛られた生活を過ごす中で自己表現ができた瞬間はこれっぽっちもありませんでした。般若心経で唱えているようにここでは終始自分は「無」として存在しているという矛盾した気持ちを抱えました。であるからこそ、ここから一歩でも外へ出れば時間、食事、趣味、人間関係などなんの制限もなく自分の生活をデザインできます。自分は気づいていないだけで普段からとても幸せな境遇にいたということを初めて実感しました。こうして短い期間であっても世間から一歩離れた環境に来たことは自分の人生においてかなり有意義だったと思います。そんなことを座禅をしながら考えていました。

本来であればこれらは雑念として排除されるべきものですが自分は禅塾での生活とこれからの日常をわずかでも結びつけてこの一ヶ月の総括にしたかったので最後の座禅は回想に使いました。

午後になっていよいよ禅塾とお別れの時間が来ました。最後は一ヶ月使ったシーツを洗濯して、自分の部屋を掃除してなるべく跡が残らないように片付けました。そしてAさんとGさん、老師に挨拶をして今までなんども通って来た門を出ました。最後は三人ともあっさりとした会話で終わりました。スーツケースを持って駅に向かう時に、門限もなく、また禅塾に帰ってくるわけでもないということで本当に解放された気持ちでいっぱいでした。毎日日中は自由にしていたつもりでしたがやはりどこかで自分の気持ちに制限がかかっていました。そしてこれからは禅塾で教わったことを実家やアパートで実践していこうというよりは自分に素直に自由に生活していくことが大事だと思いました。人同士の間に優劣はなく、自由もなく、不自由もないそんな思いでした。そういう抽象的であり、また目に見えない、実践されることもないような学びではありましたが何よりも大事でこれからの人生を支えてくれる哲学になったように思います。長岡禅塾、老師、Gさんには本当に感謝したいです。とてもいい夏休みでした。また機会があれば自分で座禅をしたり、禅塾を短期的に訪れたりしたいです。最後に毎日飲んでいたプロテインが1回分ほど余ったので昨晩、中庭の錦鯉に供養して来ました。おしまい

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