12月10日

臘八大攝心(ろうはつおおぜっしん)を終えました。

人生で一番長い一週間でした。そして動きこそ少ないものの最も内容の詰まった一週間でもありました。当たり前なのですが、この修行をこなしたからといって自分に特別な力が備わったとか、空が金色に見えるとかいうことはありません。しかし今の率直な気持ちは、スッキリしていて解放されていて同時に地に足もついているというような感覚になっています。何かしら経験値として自分に備わったのだと思います。夏の時もそうでしたが、これは言葉では表しにくく、伝え難いものがあります。7日間を振り返りをする中で自分が何を得たのか考えたいです。

前々日に川崎からバスで京都に向かいました。この時自分はとても後悔というか行きたくない気持ちでいっぱいでした。大学生活の一週間ですから、普通に生活していれば多少成績点も稼げるだろうし、バイトすれば収入になるだろうし、友達といた方が単純に楽しいと思っていました。自分次第で引き返せると思ったら余計にそういった負の気持ちは大きくなりました。しかしこのタイミングでいくのをやめたらそれこそ後悔だとも考えました。以前禅塾で老師はこのように話していました。「一つの仕事や自分で決めた取り組みを最後までやり抜ける人が、現代では減ってきている。同時に自分の意思で何かを決めて動いている人も少なくなっている。そんなときに禅でもなんでもいいから自分が何かをやり抜いたっていう経験は絶対に価値のあるものになる。」それを思い出したら一種度胸試しのような根性試しのような感覚にとらわれて、迷いが消えていくのでした。

2ヶ月半ぶりの京都についてどこか懐かしさを覚えました。夏にお世話になった時は時々街に出ていって、美味しいものを食べたり、名所の見物に行ったりしました。もちろん楽しかったのですが、心のどこかに「今日も帰って作務をこなさなくてはいけない、明日も早起きして座禅しなくてはいけない」という責務みたいなのを感じながらこの街を歩いていました。そのために改めて京都にやってくることで当時の感覚が戻ってくるようでした。京都駅から禅塾には私鉄で向かいます。この私鉄がより一層夏のショートステイを想起させました。一人暮らしを始めた大学生が実家に帰るような、はたまた受験生が遠くの受験会場に向かうような、なんとも言えない心情でした。

久しぶりに見る禅塾の門は夏に見たそれとだいぶ印象が変わりました。紅葉がかなり綺麗に染まっていました。何より毎日汗をかきながら帰ってきたこの禅塾に防寒して少し凍えながらやってきたという意味でも全く違いました。季節が巡っていました。そんな表の道を登って門をくぐり久しぶりに挨拶しました。「お願いいたします。」これは修行歴が長い相手に対して時間を頂く時(話しかける時)に必ずいうことになっています。これに対し、厨房から出てきた僧侶のGさんは相変わらずの大きな体で一言「久しぶり」と返しました。

11月30日は前日ということで「総茶礼」をしました。これはこれから一週間の修行を共にする人たちと誓いを交わすようなものです。文字通り湯呑みで茶を飲む場面もあります。この段階では学生が自分を含めて2人、メキシコから瞑想について興味を持って参加された方が一人、Gさんといった感じでした。思えばこうして禅塾という場で修行を通して新しい人と知り合うことはあまりないことでした。今回は大攝心ということでそれなりに気合いの入ったメンバーが集まっていました。だからこそみんなで交わした一杯のお茶はそれなりに特別な意味を持つのでした。

寮舎に戻って明日以降のスケジュールを伝えられました。ざっと言うなれば、4時起床、参禅3回、作務3時間、座禅10時間、22時消灯。これを7回繰り返すという一週間です。「参禅」は老師との問答です。与えられた公案(ある種矛盾を含む問題)に対して次までに答えを持ってくるというものです。修行中はこの公案に自分の100%をつぎ込みます。座禅をしている時も作務をしている時もご飯を食べている時もこの公案を自分の心におきます。最後に公案と自分が一体となってそこに、公案も自分も何も無くなった時に自分から湧き上がってくるもの、これを答えとしてもって行きます。決して考えないということがポイントです。何かを考えているうちは、それが対象となっているわけですから、まだ自分と公案が一体となっていません。あくまでも他のものを一切取り除いて公案に集中する。一切の雑念を取り除いていく。だからこそ、公案は「問題」ではなく、修行を成すための「道具」なんだと老師に教わりました。こうして公案と一つになるまで集中し続けることを「三昧」と呼びます。この三昧が修行の大部分を占めることになります。「作務」は単純に言えば掃除です。箒で落ち葉を掃いたり、草引きをしたりします。掃除と言ってしまえば誰でも簡単にこなせるように思えてきますが、自分は全くこの作務がこなせません。落ち葉掃き一つをとって見てもやり残しがあったり、苔を傷つけてしまったりして、なかなか完璧にこなすことができません。同時に時間がかかってしまって他のメンバーと比べても作業に劣りがあります。夏にお世話になったと時もGさんは「修行僧は掃除ができて一人前と言われるくらい掃除は大事な要素なんだよ。面倒臭いことが多いかもしれないけど、そういう面倒なことで人間は作られていくんだから。人が見ていなくても一生懸命にやるんだよ、それが後にあなたの徳になるんですよ。」などと名言連発でしたのでそんなことからも作務の大切さが伺えます。要するに座ってるか掃除しているか、これだけで一週間を過ごすということです。

初日の朝は本気で寒さに驚きました。まだ真っ暗な中で家庭でいう常夜灯のような明かりの中、みんなで座禅をします。眠気も当然のように生じてきます。朝の座禅を正直なめていました。座禅で組んでいる足も思ったより早く痺れてきました。まだ30分も経っていない段階です。これから一週間を考えるとまだ100分の1も終わっていない。そんなことを考えては、また一つ雑念が生まれたと反省しながら時間が過ぎて行きました。

続いて初めての参禅に向かいました。直日(じきじつ)という修行を取り締まる役の人が鐘の音に続いて「それいけ!」と叫びます。すると座禅をしていたメンバー全員が全力ダッシュで禅堂を出て廊下を走り、参禅に向かいます。そこから一人ずつ牛歩というゆっくりとした歩きで老師の前に歩いて行き、自分の公案を聞きます。老師の前に座り、両手をついて「初めてでございます。公案をいただきに参りました。」というと、そこでは思っていたよりも何倍も短く、それで持って深く考えさせられるような矛盾を抱える公案を頂きました。(公案は自分に授けられた大切な道具なので、公開できません。)そして静かに歩いて禅堂に戻って行きました。参禅は朝昼晩と1日に3回あるので次は昼の参禅で答えを持って行きます。再び座禅を始めながら自分はずっとその公案のことを考えていました。

参禅が終わると粥座の時間です。これは朝ごはんでお粥を食べる時間です。しかしご飯とは到底呼べないほど少ない量のお粥が出ます。小皿にはたくあん二枚と漬物が微量のせてあります。お粥を食べる時前には正座をして般若心経を始めとするお経を3分ほど唱えます。途中自然への供養の意味合いで、自分のお粥を数粒机の上に置きます。これをあとから回収して中庭の錦鯉に与えます。そんな供養タイムを終えてやっと食べれると思ってお粥を食べ始めると、量のこともあってだいたい30秒ほどで食べ終わります。とても味気のないモーニングです。食べ終えた後は2枚あったたくあんのうち、一枚を使って茶碗を磨きます。茶碗を回収した後はまたお経を唱えながら布巾を回して机を拭きます。その後、みんなで合掌しながら禅堂に戻り、低頭(お辞儀)をしてご飯がやっと終わります。

朝の作務は禅堂の掃除です。雑巾を固くしぼって禅堂のタイルを全て拭いて行きます。自分が拭いたところを足で踏まないように中腰バックステップで拭いていくので夏に初めてこの作務をした時は足腰が持たなくてとても苦労しました。今回も初日は久しぶりの雑巾掛けに体がこたえました。でも夏と違うのは他のメンバーが一緒にやっていることです。みんなそれぞれの公案をもらっていて、それを胸に一生懸命掃除に取り組んでいます。そんな中で自分だけが修行に集中できなくて、掃除中に疲れたとか言っていられません。何か会話があった訳ではないですが、一人一人の姿は常に自分にとって刺激となりました。

朝の作務が終わったら再び座禅です。途中「経行」という疲れをほぐし、眠気を除くために禅堂の周りを歩く時間、「二便往来」というトイレの時間があります。とはいえ、最低でも40分程度は足を組んで座っている時間があります。この体力的な問題をクリアした上で公案と三昧するという精神面でのノルマがあります。自分が夏に経験した座禅はせいぜい1時間程度のもので、座禅会の時も長くて1時間半でした。そのため、初日からこんなペースで座ってばっかりいたら、最終日まで体が持たないだろうと思い始めました。序盤であっただけに少し辛かったです。

その後は「斎座」と言ってお昼ご飯になります。ここでは動物性の食べ物が一切出ませんが、お粥よりしっかりしたものが出ます。お経を読んで、供養して食べます。事実上、1日の一食目がこの斎座になります。初日にしてこの斎座がとても美味しく感じました。寒さと精神的な疲れがあったせいかとてもお腹が空いていました。初日以降、この斎座が命を繋ぐかのように大切なものになって行きました。

食べ終わるとまた禅堂に戻って座禅をします。そして参禅の時間がきます。初日の昼の参禅は自分が初めて答えを持っていく回となりました。自分なりに思いついたものがありましたが、公案とは何かをよく理解できていなかったですし、何より考えて答えを出すという癖が自分についていて何もわかりませんでした。そんな中出した自分の答えを伝えましたが、すぐに帰されました。廊下を牛歩で帰る時に思いました。「朝から座禅もして掃除もしてずっと胸に抱えてたはずなのに、何がダメなんだろう、、。」だからこそここでちょっとガチになって三昧を始めました。

昼の参禅の後は茶礼になります。禅堂でお茶と製菓が出ます。これも心身にしみる美味しさがあります。なくなってしまうのが惜しいくらい美味しいです。これに関しても大体がさっと済まされてしまって、味わっている暇もありません。ですがこうして自分達に対してのご褒美を設けていることがとても大事だと思いました。「提唱」と言って、禅宗に関する小話を老師がしてくださる時間があるのですが、その時にこんな話がありました。「何に取り組むときも余裕が欲しい。人は余裕があるから生活のサイクルが回っていく。これを全力を尽くそうと思って詰め込みすぎると逆に何も成すことができない。」この言葉通り、茶礼は修行生活でいうことろの「余裕」なのかもしれません。茶礼などと仰々しいものでないにしても、自分の生活にも意識的に「余裕」を取り込もうと思いました。

茶礼の後は再び、作務→座禅→参禅→薬石(夕飯)と続きます。そして最後に禅堂で座禅をしたのちに「随意座」というものがあります。正直最も体力的にきつい項目です。これは禅堂が21:00で閉まった後に、外に座布団を持って行って追加で1時間座禅するというものです。完全に外に出るのでとても寒いですし、1日座禅をしてきて足にも限界が来ています。初日はこれが本当に早く終わって欲しいとばかり思っていました。

1日の流れはこう言った感じです。随意座の後、22:00に禅堂を出て、寮舎(自分の部屋)に戻ります。そして明日は4:00から座禅が始められるように3:40頃起きます。これを7回繰り返すというのが臘八大攝心です。とは言っても体力的にそして精神的にも少しながら変化があるので終わった時の感想としては1日として同じ日はなかったように思います。

2日目はモチベーションが完全に崩壊していました。「まだ自分は7分の1しかやり遂げてない、今日が終わっても後3倍以上残ってる、お腹すいた、眠い、痛い。」こんなことばかり考えていて何も集中できていませんでした。そして時々老師から頂いた公案のことを思い出して、気づいた頃にはまた気持ちがネガティブになって、の繰り返しでした。午後になって新たなメンバーが加わりました。IT系の会社を設立された卒業生の方と、医者で日常的に参禅されている方です。このお二人が自分にとって模範となるような修行をされていました。全く辛そうな顔をしませんし、何より座禅の姿勢が綺麗です。「参禅歴が長くなるとこうやってオーラとして出てくるんだな」って思いました。自分は将来、僧侶になりたいとか悟りを開く勢いで修行したいとかいうつもりはないですが、今ここで修行している以上はあの二人を目標にしてやっていこうと思いました。二日目が終わった時、相変わらず集中力もなければ公案も全く通らない状態が続いていたのに気づきました。それでも漠然としていた目標が少しずつ具体的なものになって、この一週間で自分が目指すべきものが見えて来たように感じました。

3、4日目はひたすら公案と三昧することに全力を注ぎました。終わってから振り返ってみるとあの二日間が最も早く過ぎ去ったように思います。生活しているとご飯の食べ方、廊下の歩き方、座禅の姿勢など注意を受けることが多々あるのですが、これらも注意というよりはアドバイスとしてありがたいもののように取れるようになって来ました。そして少し面倒に感じていた作務の時間は唯一体を動かせる時間ということで、定刻より早く用具を準備して現場に向かっていました。公案も一向に通りませんが、その度に自分の修行が足りていなかったんだと思ってまた座禅に向かっては三昧を心がけました。

それでも4日目が終わった時に世間のことを考えるようになりました。「みんなは今何してるんだろう」って気になりました。思えば高校生になってスマホを買ってもらって以来、一週間も開かないでいることはありませんでした。そこで自分はこの修行が一旦きりになったら連絡を含めて何をしたいかを考えるようになりました。もちろん、ご飯をたらふく食べたいとか、朝ゆっくり寝ていたいとか、遊びに行きたいとかそういう考えもありましたが無性に自分の生活を改めたいという気持ちが生まれて来ました。修行中の掃除は徹底して細かい部分までこなしていきます。その結果いかに自分の普段の掃除が行き届いていないかに気づきました。ご飯に関してもいつもはコンビニに行ったり外食したりしていましたがここでは必ず手料理が出されます。材料に関してもいただいたもの、畑で育てたものをなるべく使って自分たちの手で食糧を得ています。他にも文字を書くときはみんなが読めるように崩したり乱したりしませんし、使ったものは置いてあった場所、状態に戻します。このようにして自分たちの環境が作られ結果として人間が磨かれていきます。今までの生活は、自分で自分の成長を止めているようなものでした。同時に無味乾燥に思えた禅塾での生活は今まで当たり前のように手に入っていたものをいかに生み出すかという創造性も求められているように思いました。これからは「買いに行く」から「作れないか考えてみる」に発想を変えたいです。

そして4日目が終わったタイミングでもう一人関東から先輩がいらっしゃいました。この方がこの後は直日を担当してくださいました。人数が増えて行くにつれて作務の時にこなせる仕事量が増えて、場の雰囲気も緊張感が生まれていきました。でも冷静に考えてみれば一人加わったことでもたらされる変化としては、普段あまり感じないくらい大きな力となっていました。月並みな言葉ですが、「人ってすごいな」って思いました。日常に戻った時に、自分がいてもいなくてもその場になんの効用もない、そんな人間にはならないようにしようと思った瞬間でした。

5日目以降も公案は通りませんでした。公案をなんとか通そうと思って座禅し、作務をこなしていましたがダメでした。その度に「修行が足りてないんだ」と自分に言い聞かせて再び三昧をはじめました。その頃には自分の中での公案のプライオリティが高くなっていて、ご飯とか睡眠のことはあまり頭にありませんでした。自分は今まで頭で考えることは慣れていたつもりでしたが、公案は捉えようがなく、情熱が注ぎにくい、実態の見えないものだけにどこかに悔しさややりきれない気持ちが生まれて来ました。

それは最終日になっても変わりませんでした。少しでも長い間座禅してこの公案を解決したい、そしていつまでも世間からシャットアウトされていれば自分、そして公案に専念できて一層楽になれると言った、一週間前には全く芽生えなかった気持ちになりました。結果自分は同じ質問(公案)に対して20回答えを持っていきましたが、一つも通ることはありませんでした。最後の提唱で老師は「その悔しさがあなたを修行に駆り立てますし、たとえ答えが出なくてもそうやって集中して、三昧している時間が成長につながるはずです。」とお話しされていました。その話を聞いてなんか嬉しかったです。「ああ、何もしていなかったようで実際は修行になっていたんだな」って思いました。そしてそのように一人前でなくても修行をしている人を「小僧」と呼ぶんだと教わりました。大学に入ってから自分のアイデンティティとか時折考えてましたが、今回新たに「小僧」に出会いました。日常会話ではあまり好ましくないですが、この「小僧」は響きとして悪くないと思いました。

最終日の随意座の前に茶礼としてうどんが出ました。このうどんは僧侶の方が修行道場にいた頃から伝統的に作っているもののようでとても美味しかったです。三人前ほどいただきましたが、これもまた体にしみる味でした。「頑張って来てよかった」って思いました。そして最終日は24:00まで随意座をしました。24:00になった時、鐘がなって臘八大攝心を終えました。最終日を終えたので久しぶりの風呂に入りました。そして翌朝は「寝忘れ」と行って6:00まで寝てもいい日です。どちらもとても快適で「これからは今まで以上に自分の体を大事にしよう」と思いました。

最後にお粥をいただいて禅塾を後にすることにしました。最後のお粥が終わった時、僧侶の方に「これからも時々公案に三昧して、修行を続けるんだよ、これは一生続いて行くものなんだからね。あなたは今回とても貴重な経験をしたんだから胸張って大学に戻りなさい。」という言葉をいただきました。確かにいい経験をしました。学生時代にしかできないことはたくさんあれど、大攝心もその一つでした。そして一緒に修行したメンバーともお話ししました。どなたもこの一週間働いていれば軽く数十万円は稼げたはずです。それでもこうして自分を見つめ直し、ここでしか入り込めない世界を求めてやってくるのだから、自分も修行の概念は今後も大事にしようと思いました。これからの禅塾のこと、関東での活動のこと、一回大攝心に参加すると次回以降メールが届くことなど色々話しました。

門を出た時、そこには人がいてバスが走っていて店があって色々と久しく見ていなかったものが目に入って来ました。以前、老師は「大攝心を終えると外の景色に感動する、文明という規模で感動する」とおっしゃっていましたが、確かにこの世の中すごいと思ってしまう自分がいました。1日3食の飯を食べて、日中は掃除をし、自分の世界に入り込み、夜は眠る、という最低限の生活(大攝心での日常)と比較すれば、圧倒的に様々な仕組みが機能しています。自分は三昧こそまだまだ未熟ですがこの微々たる感動を忘れない人になりたいと思いました。そしていつかこの経験が、この原点を見つめる考えが自分の軸になる日が来るといいです。

午後は四条にて地元の友人に会いました。夜は焼肉を食べにいきました。大攝心の後もあってとても開放的で楽しい時間でした。何より、そこで飲んだ安い、安いジョッキのビールは人生で一番美味しいのでした。

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