親子で同じ方向を見て話す
自転車の後ろに子供を乗せて移動すると、当然対面にはならず、同じ方向を見た状態になる。
そこで会話する時間の貴重さに気付いた話。
顔を合わせないからできる話がある
子供を後ろに乗せて自転車を漕ぎながら会話をする。
顔を合わせないことで、プレッシャーや照れがなくなるからだろうか。
そこでする会話は、いつもより、率直で、いつもなら少し照れて言えないことでも話せる気がする。
「なんで嫌なの?」
後ろで沈黙がある。
でも、自転車を漕いで移動しているから、沈黙が重くならない。
少しの沈黙の後、ポツリポツリと話し出す。
私も自転車を漕ぎながら黙って聞く。
同じ空を見て、同じ景色を見て、風を感じ、季節の移ろいを感じながら。
期間限定の尊さ
育児のほとんどがそうであるように、子の成長や人生は不可逆で、後ろに乗せて自転車を漕ぐ期間はいつまでもない。
あと数年もないのだろう。
今この時を覚えていよう。
そして、自転車に一緒に乗らなくなった後、代替するシーンを考えておこう。
顔を合わせないからこそできる話がある。
親子だけじゃなくて、大人でもきっと同じだ。