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自分を表現できるコミュニティを持てること

私の仕事は、対人援助職に分類されるもので、メンタル不調の方や障害を持つ方とお話をしたりカウンセリングをするような仕事です。
「心理士」と呼ばれる職業で、カウンセリング以外にも、検査を取ったり、患者さんが社会生活に戻れるよう一緒に考えていったり、業務内容は色々。

こんな仕事をしながら、私自身もメンタル崩した時期がありました。
メンタル不調に至るメカニズムとか、自分自身でわかっているはずだったのに、どうしようもない時ってあるんだなぁ…と、
人の感情と思考の奥深さを実感しました…。
(いや、本当に難しいというか興味深いというか…しんどかったけど笑)

私の場合は、幸い、家族や友人の支えもあり、半年程無職で過ごし、その後社会復帰できました。
今思うと、半年で回復できて良かったのですが、当時は、1日、1週間、1ヶ月がとっても長くて、その長く感じる時間の大半を「苦しい」と思う日々で、なかなかの地獄。

そんな地獄の日々の中、気持ちが上向きになることもいくつかありました。
(苦しい中にいる当時は、上向きになっても次の日にはドン底…とか、ジェットコースターみたいだったけど、今振り返るとパターンがあるような気がする💡と)

① 何か新しい行動ができたとき
② 今後の見通しがチラッとでも見えたとき
③ 自分の表現ができたとき

主にこの3つかな、と思いました。
患者さんとの関わりの中でも、①や②をできた時は調子が良くなっていくのを見ていたので、私もそれを身をもって実感しました。

③に関しては、私の中でも新たな発見でした。(もしかしたら、私だけが感じることなのかもしれないけど…)

自分を表現することの色々

③ 自分の表現ができたとき について。

私は元々音楽をやっていて、無職の半年間で2回、知り合いから演奏会に演者として誘われていました。
音楽は唯一ずっと好きで関わっていたことだったので、気分転換程度の気持ちで参加。
結果、劇的に体調が回復!なんてことはないけど、少しは気持ち軽くなったかな、と。

今振り返ると、気持ちが内側(自分の内面)に向いていたのが、外に発散できたのが良かったのかなと思います。
その時は、内側に向いてた色々なモヤモヤとしたものを「音」として出せたように思えて、

じゃあ今度は「言葉」で発信してみよう。
と思い、Twitterを始めました。

Twitterで新たなアカウントを作り、「自己表現練習用」として、自分の思考や感情をツラツラとただ記録していきました。
こういうことって羞恥心があり避けていたけど、思ってることをただ書いて、それが誰かが見て「いいね」がついたりするのは、案外嬉しい。

この、音楽とTwitterでの表現は、無職の半年間の私を支えていたように思えます。
外に向けて「自分の表現を発信できた」という経験は大事だったな、と。


属すること→安心して表現できる

それと、何かのコミュニティに「属している」という感覚も、支えになっていたように思えます。

演奏をしたグループは小さな団体ですが、それでもそこに「属している」という感じはあり、
Twitterでも、なんとなく同じような人たちが相互フォローしたり、イイネしたりで繋がり、ネット上にコミュニティができていく感じ。

「この場では自分を自由に表現できるんだ」
という安心感。

ここらへんが私にとっては大きかったと思います。

「自分を表現できるコミュニティを持てるのは幸せ」

その時期に知人がFacebookにこんな投稿をしていました。(その知人も音楽をやっている人)

当時の私の考えがそのまま言語化されていて、本当にその通りだなぁ、と思いました。
忘れられない言葉になったなぁ、と。
(それと、考えてることが言葉になって形作られた感じがして、すごく嬉しかった気持ちもあります)

「自分を表現する」って、なにか芸術的なことをしなきゃいけないわけではなくて、
好きなものを「好き」って言ったり、
自分の信念を「こうだ!」って主張するだけでも、
「自己表現」だと思っています。

社会で仕事してると、嫌なことも、理不尽なこともあるし、でもそれを受け入れなきゃいけないことも勿論ある。
それは仕方ないことだとしても、仕方なくない場で自分を表現して、発信していくのって、必要なことだと思いました。

こういうコミュニティが増えていったり、
私が仕事で関わる人にも何かヒントを教えられればなぁ…

と思いつつ、今は模索中。
でも、こんな気付きを広めていけたらな。
と思い、noteで記録していきたいです。

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