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昔は沖縄には七五三はなかった

沖縄のラジオ番組『ハッピーモーニング』を聴いた。毎週土曜日の朝9時から放送されている番組で、『ハッピーアイランド』でおなじみの多喜さんがパーソナリティを務めている。

毎週、テーマを決めてメッセージを募集するんだけど、今週のテーマは「七五三」だった。

リスナーのメッセージにちらほらあったけど、沖縄では七五三を祝う文化はなかった。私もそう感じる世代。沖縄県外の人でも「ハロウィンなんて昔はなかったよね」という感覚と同じ。

沖縄であれば、七五三よりも十三祝いの方がなじみがあるんじゃないかな。沖縄には「とぅしびー(歳日、かな?)」を祝う文化がある。12年ごとに訪れる自分の干支の年を祝う。最初が13歳の「十三祝い」。最後は97歳の「かじまやー」。派手な琉装で、オープンカーに乗って地域内を走っている様子は、県内のニュースで流れているのを目にしていたな。

私の時は、十三祝いは学校で祝ってもらった。確か学校は休みの日だったけど、学校の体育館に親も呼んで、1つの学校行事みたいだった。

今でも、正月に親戚が集まると、その年の干支の人がいないか確認して、とぅしびーの人だけで写真を撮ったりもする。2回目のとぅしびーの時は、「2回目もとぅしびー迎えてるのに、まだ嫁にいってないのか」なんて言われたりもした。昔はそれまでには嫁に行ってたんだろうね。

それくらい沖縄に根付いている風習だけど、今でも十三祝いはやってるのかな。やっててほしいな。

◇ ◇ ◇

七五三とか、節分とか、ひな祭りとか、もともと沖縄にはなかった風習が、たくさんある。正月のしめ縄、門松、鏡餅も、もともとは沖縄にはなかったんじゃないかな。

逆に、沖縄には節分と似たものに、「ムーチー(餅)の日」がある。ひな祭りと同じ3月3日には「はまうい(浜下り)」をする風習もあるらしい。冬至はかぼちゃやゆず湯と言われるけど、沖縄では「とぅんじーじゅーしー(冬至+炊き込みご飯)」を食べる。お盆も旧暦でやるし、地域によっては正月も旧暦でやる。新暦と旧暦の2回、お年玉をもらえるという子もいた。

日本で海外の風習であるクリスマスやバレンタインが定着しているように、沖縄にも日本本土から入ってきてる風習がある。琉球王国時代には日本本土や中国からの文化を受け入れ、戦後はアメリカの文化や言葉を溶け込ませたように、「ちゃんぷるー文化」は沖縄が栄える土壌の1つだと思う。楽しみも増えるし、悪いことではない。だけど、沖縄の風習が置き換えられて、なくなってほしくないな。

沖縄のラジオをradikoで全国どこからでも聴けるようになって、地元の新聞がネットで県外にも発信できるようになって、たくさんの人に届けることができるようになった反面、沖縄の言葉を多用すると理解できない人がいるので、方言を使わなくなる側面もある。

説明がまどろっこしいからといって標準語で代用していると、言葉だけじゃなくて、昔からの風習も一緒に衰退してしまう。なくなってほしくないな。




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