#2 自己紹介

こんにちは、アサです。

さて、今回は自己紹介をします。(やっっっっっと!)

実は1年ほど前にこちらの記事自体は作成していたのですが、ずっと下書きにしており内容を何度かにわたって変更していたりしまったためなかなか公開できない状態でした。

やっと公開ができる状態になりました。

スタンスとしては何故今の自分がいるかということをぜひ読者の皆さんに知っていただきたいと考えているため、自分自身の経歴とどのように価値観が形成されたのかという観点で本記事を執筆しました。

全てを説明したいところですが、そうしてしまうと果てしないので24年間の人生を大きく4分割して今の自分に辿り着いたことを説明します。

価値観の形成

私は大阪府東大阪市で生まれました。
1年間は東大阪に住み、その後は奈良に引っ越し、数ヶ月後にバルセロナに2歳の頃に移住しました。
日本人というアイデンティティーが何かもよくわかっておらず、異国へ渡ったため、自分が何者なのかはよくわかっていませんでした。
家では日本語、幼稚園ではカタラン語(バルセロナはカタルニア地方なので)という生活を送っていたため、昔から言語に関しては中途半端でした。
また、寒すぎず、暑すぎずな地域だったため、未だに暑さに弱く、寒さに弱いです。
アイデンティティーが何かもわからなかった年齢ですが、3歳ごろから「マンガ」が好きでした。日本文化が何かもわかりませんでしたが、アニメや漫画をこよなく愛していました。
幼い頃の趣味は外で遊ぶことではなく、絵を描くこと、ストーリーを考えること、想像をすることなどでした。
この特性は今にでも影響していて、ゆくゆく個性的な性格を生み出したのかなと考えております。
基本的には幼少期の頃は根暗で変わっていてヒッキーなタイプでした。

人生の黄金期

小中学生の頃はとにかく人生がうまくいきすぎていました。

スペインから帰国し、その後、2年間日本にいたのですが、9歳の頃に親の転勤でイギリスに引っ越し、5年間住んでいました。
自分の人生の中でも大きく影響があったことを3つに分けてお伝えします。


1.州でトップクラスの私立中学校の入試に受かった。

もちろん、英語が何もわからない状態で私はイギリスに移住しました。
そして滞在わずか1年で州でトップと言われていた私立の女子中学校の入試を受けました。よくわからないですよね笑
とにかく死ぬほど勉強した記憶があります。わからないながらもただがむしゃらに、塾などはないので家庭教師3名体制で週5でスパルタ教育。
もちろん遊ぶ暇なんてほぼありませんでした。
とにかく負けず嫌いなので絶対合格してやるって気持ちでストレスを抱えながらも頑張りました。
結果、合格し入学することになりました。
人生の中でもトップレベルの成功体験だと思っています。

2.音楽人生に浸る

イギリスに移住して本格的に音楽を始めてみたくてバイオリンを始めてみました。
ここで自分の特性発揮できたのと自分の黄金期がやってきてたのではないかと思います。
向いていたのかはわからないですが、先生との相性がよくて上達スピードが早いと言われていました。
資格試験がGrade1~8まであるのですが、5年以内に一番上のGrade8を受ける資格を持っていました。(通常は10年弱かかるらしい)
また、通っていた中学校は音楽に力を入れていて、年2回ある学内コンサートでソロで演奏するときはオーディションを受けないといけないのですが、是非弾いてください!とオファーをもらうスタイルになっていたり
地域や学校のオーケストラやカルテットに入団してほしいというオファーがあったり、発表会は毎回ソロで絶賛してもらえたり。
発表し終わった後の感覚は自分に注目が集まっているので何より幸せでした。
また、自分だけに与えられた時間の中で自分だけの世界を創り、人を巻き込む瞬間も大好きでした。
バイオリンだけではなく、作曲をしていたり、ピアノも自分で頑張って覚えていたりしたので割と音楽に対してはマルチ対応していました。

3.特技は14歳にして「自分の世界を形にして表現すること」
自分の夢についても少し考え始めていました。
相変わらずプライベートは外で遊ぶより家に篭る方が好きでした。
やっぱり休みの日はもう10年くらい変わらず自分で漫画を描いていたので
「漫画家になりたい」という夢を持っていましたし、割となれると確信していました。

音楽や漫画など芸術を通して、特技は14歳にして「自分の世界を形にして表現すること」になってました。

最大の挫折

※ここからは鮮明に覚えていることも多いため、長くなります

ここでのエピソードは主に一つとなります。3年半全力を注いだ部活動についてのお話になります。

それまで挫折を味わうこともほとんどなく、何もかもうまくいってたので、このまま人生うなぎ上りなのかなと考えていた頃でした。


中学3年生の時に日本への帰国が決まったので、帰国子女枠で京都にある私立の中学校の編入試験を受け、合格しました。
その学校は中高大一貫校で、高校までは帰国子女が3分の2ほど在学している学校でした。
そんな中、その学校に入学したらある部活に入部することを決めていました。

それは「チアリーディング部」でした。
入部した理由はNHKで放送されていた全国チアリーディング選手権のJAPAN CUPを見ていた際に入学する予定だった学校がでていたからです。

チアリーディングでは強豪校といわれ、毎年全国大会に出るレベルでNHKで自分たちの演技が放送される。。当時、自分自身を表現するパフォーマンスを得意としていた自分にとってはなんて魅力的なんだと思いました。

たった一つの夢を叶えるため、入部しました。

「全国大会に出場し代々木体育館の青マットで演技をする」

それだけのために朝練、昼休みも削り昼練、そして放課後練、土日も休まず練習とがむしゃらに頑張りました。

また色々とうまくこなしてきた人生を送っていたし、運動神経は悪い方ではなかったので、入部して2ヶ月で西日本大会のメンバーにも選ばれました。

その後も先輩や部員からは才能があると言われ褒められていました。
新しく入部してきたメンバーにも教えていたし、自分は人並みに努力しておけば必ずレギュラーを勝ち取ってJAPAN CUPに出場できると自分の力を過信していました。

また、2年目では何度か怪我をして自分の体がボロボロになるまで部活に全てを捧いでいたこともあり、絶対に目標は達成できると考えていました。

ただこの気持ちを覆してしまう出来事がたったの半年間で2回起こってしまいました。

それは高校2年生の夏でした。チアリーディングを始めて2回目の夏です。

当時、私はBチーム(2軍のチーム)の主要メンバーとして在籍していましたが、関西大会で基準を満たすことができず全国大会への切符は与えられませんでした。

先輩たちがいたのでAチーム(1軍のチーム)に入れるとはあまり思っていなかったので来年に向けて頑張ろうとしていたときでした。

全国大会への切符を手に入れたAチームでメンバーシャッフルをするといわれ、再度レギュラー決めのセレクションが行われることになりました。

これはチャンスかもしれないと思い、頑張り、他のメンバーには申し訳なかったのですがなんとAチームに入れることになったのです。

その年は大会にもう出られないと思っていたのに奇跡でした。

夏休み中も自主練に取り組み、練習をして気合が入っていたのですが、休みが明けて夏練に入り演技の通し練習をしていた時に違和感を感じました。

「なんだかすごく迷惑をかけてしまっている、できない」

なにもできない自分に気づいてしまいましたし、自分の実力不足を痛感しました。

自分がいままでやってきた領域と違うことをやらされたりなど、本当に即戦力になれませんでした。

その結果、当たり前ですが夏の全国大会のメンバーからは外されてしまいました。

来年の夏に賭ければいいと思って乗り越えようとしましたが内心はズタズタでこの頃から自信を失っており、チアリーディングに対する考えが変わってきてしまっていました。

半年後にAチームのメンバーになればいい、まだ頑張れると言い聞かせていましたが、そこまで本気で頑張れるか自分に自信がなかった気がします。

そして半年後の3月に関西予選大会に向けてメンバーを決定するためのセレクションが開催されることになりました。

正直ラストチャンスだったのでここを逃したら終わりと考え、一生懸命練習に取り組み万全な状態でセレクションに挑もうとしていました。

しかし、運が悪いことにセレクションは3泊4日の修学旅行の1週間後に行われることが決定していました。

帰ってきて練習ができるチャンスはちゃんとある、そう思っていたのが間違いでした。

春休みに入り、修学旅行で沖縄に行ったのですが、帰りの便で空港に到着後、高熱を出し、のちにB型インフルエンザと診断されました。

もちろん1週間ほど部活に参加することはできませんでした。絶望感を味わっていたのを覚えていますし、もうどうにでもなれとまで思っていました。

その後復帰してセレクションが復帰当日に行われました。2週間ほどチアリーディングをしておらず、筋肉と体力は完全に落ち、本領発揮することができませんでした。

そして当たり前にメンバーに選ばれず、全国大会に出場することができず、3年半全力を注ぎ込んだチアリーディング生活は幕を閉じました。

全国大会に出場することができなかったと決まった時は同期を応援することができませんでした。

無力な自分と夏の大会に出場する同期を見て嫌なことしか考えていませんでした。

8年たった今でも同期とそのころの話になると私は黙り込んでしまうほど辛かったのです。

人生で初めて「挫折」を味わい、目標を達成できないまま高校生活を終えたことは一生忘れません。

3年半を捧げたのに夢を叶えることができなかったわたしはチアが大嫌いになり、当時持っていた部活着やシューズも捨てるか迷っていました。

ちなみに高校から大学へ内部進学するタイミングで大学チア部から体験の案内があったのですが、部員の中で私だけ参加しなかったという話もあとから聞きました。

夢を叶える姿勢

中高大一貫の学校だったのでそのまま大学に入学し、希望の学部に入りました。

大学受験はなかったのですが、内部推薦だと成績順に行きたい学部を選べる仕組みになっており、幸い、勉強は人並み以上にできていたので希望が通りました。

大学一年の頃は何か目標を立ててがむしゃらに頑張ることは高校時代のトラウマもあり絶対やりたくないと思い、適当にサークルに入り遊び呆けていました。

大学にはほぼ行かず、髪は金髪に近い色で、朝帰りばかりしていたし暇さえあればクラブで悪友と遊んでいました。当時の彼氏にも呆れられ、変わりすぎと別れを告げられたこともありました。
それでも色んな人にチヤホヤされるのがすごく楽しくて適当に過ごす方が絶対楽しいと思っていました。

しかし毎日親に怒られ家族の関係も悪くなり、大学に入学して1年間なんとなく毎日を生きていたことに気付きました。

体育会系の部活に3年半所属していたこともあり、目的もなく、努力もせず毎日遊んでいる自分がどんどん嫌いになっていきました。

ある日、アパレルのバイトをやっていたのですが帰り際に偶然部活の先輩に遭遇しました。

話していると、社会人チアリーディングチームの体験にいっていたとのことでぜひ行ってみたら?という話になりました。

正直、当初はやる気はなかったのですが、そのチームは高校時代とは違う男女混合チームだったので少し違うのかなと思い高校時代の同期を誘い体験に行ってみました。

体験にいき、1年ぶりにチアをしたのですが、あんなに嫌いになったはずなのに何故か楽しくて楽しくて、体験なのにやったことないことをやらせてもらい、帰り際には何も考えず、入部します!とキャプテンに伝えていました。

心の中では高校時代に達成できなかった目標をここで叶える事ができるのではないか?とまで思っていました。

入部した時は西日本大会にBチームとして出てほしいと言われました。
流石にこのチームでAチームに入るのは難しい状況でした(全国大会トップレベル校出身者や世界大会出場経験者が在籍していたので)

そこで私は副キャプテンを任せていただきました。ダンスや演技の構成を考えたりし、10人という少ないメンバーで良い演技ができノーミスを出すことができました。

その後はBチームの成功経験からチームを拡大することができ、全国大会(JAPAN CUP)の予選大会である関西選手権大会に出場することが決定し、幹部だったキャプテンと私はBチームとしてチーム初の全国大会への切符を獲得するという重大なミッションが与えられました。

社会人チームだったこともあり、週末しか練習ができず、またメンバーの欠席が目立ったり副キャプテンとしてチームを引っ張っていかないといけない立場でありながらもキャプテンとぶつかったりとマネジメントする立場としては大変なことが多かったです。

それでも目の前に巡ってきた再び与えられたチャンスを絶対逃したくないと思っていたこともあり、一つの目標に向かってひたすら走る昔の「熱かった自分」が戻ってきました。

しかし、結局、大会当日までメンバーの欠席があったり、練習中はノーミスで演技を終えることができなかったりと相当焦っていました。ただ、幸いな事に本番に強いメンバーが多く、関西選手権大会ではミスをすることもなく、やり切ることができ無事に演技を終えることができました。

演技を終え、大会終了後に表彰や全国大会出場決定チームの発表があるのですが、自分たちのチームの名前をアナウンスされた瞬間、私は号泣しました。

「ずっと叶わないと思っていた夢が5年越しにやっと叶えることができたんだ」

この時点では正式には夢を叶えたわけではなかったのですが、全国大会の切符を獲得できたことにより、かなり近づいていたことに感動を覚えていました。

その後は無事に東京での全国大会に出場することができ、

「全国大会に出場し代々木体育館の青マットで演技をする」

ことを叶えることができました。

5年越しの夢を叶えることができた私は完全燃焼をしてしまい、その後、チアリーディングは引退してしまいましたが自分に再び自信を持つことができました。

そして、自分自身の価値観も大きく変わり、行動次第では夢を叶えることができると実感することができ目標をもって様々なことに挑戦する姿勢を再び持てるようになりました。

高校卒業後から一番辛かった2年間ではありましたが、間違いなく大きく成長できた瞬間でした。

そのこともあり、高校で失われていた挑戦する勇気が蘇ってき、モデル芸能活動に挑戦、海外留学に挑戦、ブライダルプランナーのインターンをして営業成績全国1位を獲るなど、目標をもって何かを成し遂げることに充実感を覚えるようになりました。

これからについて

大体は高校卒業するまでは環境や家庭が自分の人生や価値観を形成していくが、大学からはどう生きていくかは正直自分次第という言葉もよく聞きます。

大学1年生の頃の自分は夢や目標を持つことを脅え、自分が楽しければそれで良いと思ってなんとなくバイトをしてお金を稼ぎ、その稼いだお金で遊びまくるという生活をしていました。

私の場合、チアリーディングが私に挫折することを教えてくれ、諦めなければ夢を叶えることができることを教えてくれました。

そのスタンスで生きるようになってからはいつも何かしらの目標を持てるようになりましたし、その考え方、価値観は24歳の今でも継続的にもつようにしています。

価値観や人生観はちょっとした出来事やちょっとしたきっかけで急速に大きく変わるものだなということも実感しました。

みなさんもそうだと思いますが、今の自分自身を形成してきたものは今までの人生の中のほんのちょっとしたイベントの積み重なりだったりもすると思います。

自分自身は20代になった今はちょっとした行動、きっかけ、出会いを大切にしさらに新しい価値観を取り入れて行ったりすることで人として成長していけたらいいなと考えています。

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