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思わず。

コインを投げたその瞬間の願いや、好きな人を前に反射的に伸ばしてしまう手のことを考えると、「思わず」の奥には、「ほんとうはこうなってほしい」と言う強い願いがあるように思う。たとえ本人がそれを自覚していなかったとしても。いや、自覚していないからこそ、「思わず」とあたかもそれが衝動的なものであったように言うのかもしれない。

このところ、私は何かを表現したいような、残しておきたいような気分だった。絵を描いたり、曲を作ったり、踊ったり。この世にはありとあらゆる方法があるように思えたが、ゼロからイチを生み出すのはやはり至難の技である。どれもこれも、結局はどこかでみたような、聞いたことのあるようなものになってしまうのだ。ならば「書く」というのはどうだろうか。

インスタグラムは言わずと知れた写真投稿アプリであるが、私は以前からそれを半ば「書く」ために使ってきた節がある。書き留めておきたい言葉があるから、なんとなしに写真をくっつけて投稿する。インスタグラムの使い方として正しいのかどうかはさておき、自分なりには楽しんでいたのだ。ただ、自分が楽しいのと周りがどう思うのかはまた別の話。「書く」投稿をするにつれ、周りの反応が気になりだしたのである。こんなこと言ったら引かれるかしら。別にあなたのことを言っているわけじゃないのよ…。こうなるともう以前のように自由に書きたいことが書けない。そう思い、仕方なく私は別の媒体を探すことにした。

「エッセイ」の文字を見たとき思わず、私は「これだ、書こう。」と決意した。なぜエッセイというものにそこまで惹かれたはわからないが、書きたいという衝動が私を突き動かした。

いや、本当は違う。「思わず」なんてのは嘘だ。

私は願っていたのだ。自分を表現できる何かを。誰のことも気にせず、感情を、言葉を溢れさせることのできる場所を。

「思わず」の奥には強い願いが隠されている。

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