家族自慢

わたしは自分の家族たちを自慢できるほど大好きだし、
"幸せな家庭"だって胸を張って言える。

でも、何もかもが上手くいっていた訳では無いし
喧嘩も暴力もなかった訳では無い。

妹たちとの喧嘩はもちろん、
母との取っ組み合いも中学生の頃までは日常茶飯事だった。

女に囲まれてあくまでマイペースを貫く父に代わって、
母はわたしたち子どもと真っ直ぐ全力で向かい合っていた。

そんな母と、わたしたち姉妹は何度もぶつかったし
お互いに殴る蹴るの取っ組み合いも数しれず。
布団叩きを持って追いかけてくる母と、
クイックルワイパーを持って対抗するわたし。

もちろん武器の使用もOK。

家中を叫び声を上げて走り回っていた。

中学生くらいになると知識を得るので、
母にぶたれた時に「それ、虐待だよ」と言って怯ませたり、
ハサミを片手に「近づかないで!」と言ってみたり。

門限を破って帰った時に、鍵をかけて締め出されても
存在感を消して逆に心配させたり。

悪知恵ばかりが増えていく増えていく…笑

こんなのが3人も!!

母は本当に大変だったと思う。

それでも、わたしたちと関わることを放棄しなかった。
悩んでいたりつらい時は寄り添ってくれた。

当時はお互いに全力で向かい合って、全力で戦っていたけれど
いまとなっては"いい思い出"。
微笑ましくすらある。

父も、ただ何も言わない父ではなくて。
怒る時は怒る。
当時は、ラスボスみたい思っていた。

「お父さんに怒られたら、やばい。」

みたいな。笑

1度だけ、頭をはたかれたことがある。

高校生の時、大晦日に原宿で友だちと年越ししたいと話したら
「何言ってるんだ」と言われ、それでもなお食い下がっていたら
頭をパシッとはたかれた。

ほとんど手をあげない父だったから、衝撃だった。
本当に、ダメなんだって思った。

でも、嫌悪感はなかったし
その後も父のことは変わらず大好きだった。

高校を卒業したあとは「自己責任だよ」と言って、
父にはほとんど何も言われなくなった。

母はずっと干渉してきたけれど、
父はわたしたちに対してとても良い最適な距離感を
ずっと保っていたんだなって、今は思う。

良く言えば、だけど。
母からすると「良いとこ取り」らしい。
まぁ、たしかに。笑

あと父は、言葉遣いに厳しかった。

妹が小さい頃だけど母と喧嘩をしていて
「くそばばあ」って言い放った時、
父が出てきて酷く怒った。
「お母さんに謝りなさい」と。

それ以外にも、もちろんいろいろあるしあった。

誰にも言えないこととか、
嫌なことだってあった。

でも、わたしは母と父のことは悪く言いたくない。

言葉に出すことで、それは言霊となって
相手にも少なからず影響を与えると思っているから。

それは、相手に届いていようがいまいが関係なく。

例えば、その憎悪の念を言葉にすることで拡散されて
相手の寿命を縮めたり。

オカルトじみてるかもしれないけれど、
わたしは言霊って多少なりとも力を持っていると信じてる。

今も「死んでほしい」って思うくらいに
恨んでいたり憎んでいるのなら別かもしれないけれど、
そうではないのなら、いま少しでも良い関係でいられるのなら
憎しみよりも感謝の言葉を表現していきたい。

「母はこういうことをしてくれたんです」

「父はこう言ってくれたんです」

なんでもプラスに捉えよう。

それがわたしのポリシーだから。

でも、不安にはすっごくなる。

父が急死したこともあって、
母が倒れているんじゃないか、とか
自分が今日死ぬかもっていうのは考えちゃう。

むずかしいねぇ。

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