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不登校の生活【後編】

不登校をやめる
きっかけになったおはなし。

運命を変える本との出逢い

不登校初期と比べて
ちょっと落ち着いたけれど、
相変わらず引きこもりで、
まだまだ精神的に不安定だったその頃。

父が
「これ読んでみたらいいよ」と言って
一冊の本を
わたしの部屋に置いて行きました。

『サラとソロモン』

どうやらサラという少女と賢いフクロウの
お話のよう。

気付けば、
あたたかみのある表紙に導かれるように
本のページをめくりはじめていました。

…そこには、
感情に振り回されて疲弊していた
わたしにとって最も必要な、
生きるためのヒントが詰まっていたのです。

———
『覚えておくんだ、サラ。君がどう感じているかということが君の周囲の状況によって左右されているなら、君はいつでも罠にはまっていることになる。けれども、君が自分の考えを選ぶことによって、自分がどう感じるかを自分で決められるようになった時、その時こそ、君は真に自由になるんだよ。』

塾で頭の良い人たちばかりがいる状況で
"自分は劣等生なんだ"という考えを
選んだのはわたし。
勉強が得意でないことに対して
"恥ずかしい"という考えを選んだのはわたし。
不登校になって
"自分は被害者だ、可哀想だ"という考えを
選んだのはわたし。

これまで自分がした選択を
思い返せば思い返すほど、
「こりゃ、マズいぞ...」と思うように
なりました。

自分の考えは自由に選ぶことができるのに、
その自由を使って
自分で自分を惨めな気持ちに
させていたなんて...!

サラが自分とぴったり重なります。

ソロモンが人生を変えるキッカケを
与えてくれた...!
———


試練は突然やって来る

この本を読んでしばらく経った頃、
同じテニス部だった友達から届いた手紙。

そこには、
「ウチに泊まりにおいで!」と
書かれていました。

すっかり引きこもり生活が
定着していたわたしにとっては
太陽が出ている時間に
外出するだけでも腰が引けるというのに、
お泊りだなんて...!

なんてハードルの高いことでしょう。(笑)

それでも、
不登校になっても気にかけてくれる友達の
思いやりが嬉しかったわたしは、
お誘いを受けることにしました。

お泊り当日。

意を決して訪問すると、
友達の家族は歓迎してくれました。

漫画を読んだり、
ピアノを聞かせてもらったり、
他愛のないおしゃべりをしたり。

日中の時間は
意外とあっという間に過ぎ去り、
夕食の時間になりました。

和やかな雰囲気のなか
食事が終盤に差し掛かった頃、
話題はわたしことへと移ります。

"なぜ学校に行かなくなったのか"と
質問されて言い淀んでいたわたしに
飛んできたのは、
友達のお父さんからの単刀直入な言葉でした。

「不登校って言っても、
自分で蒔いた種だからねぇ。」
「自分で刈り取らないと。」

...グサッ。

鋭い刃物が胸に刺さったような
心地がしました。

チャンスを掴め!

家に帰っても
事あるごとに反芻されるあの言葉。

いい加減忘れたいのに、
どうしても忘れられないあの言葉。

そんなとき、
ふと脳裏をよぎったのは
『サラとソロモン』に出てくる
ソロモンの言葉でした。

『君が自分の考えを選ぶことによって、自分がどう感じるかを自分で決められるようになった時、その時こそ、君は真に自由になるんだよ』

わたしは
友達のお父さんの言葉を聞いたとき、
すごく傷ついた。
手に負えない種を蒔いた自分を責めた。

(ん??)

傷つく選択をしたのは自分。
種を手に負えないと
決めつける選択をしたのも自分。
自分を責める選択をしたのも自分。

(...そっか!この選択を変えればいいのか!)

「不登校」の種を蒔いてしまったという
事実は変えられない。
けれど、この種を刈り取るチャンスが
やってきたじゃないか!

よし!このチャンスを掴んでみよう!


不登校の経験よ、ありがとう!

「不登校の種を刈り取る」ということは
つまり、
「不登校を卒業する」ということ。

中学2年生の3月、
不登校を卒業することにしたわたしは、
新学期の4月から学校に行くことを決意。

中学3年生の1年間を
皆勤賞で締め括ったのでした!

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