見出し画像

自己紹介 - ゴルフとの出会い -

皆さんはじめまして!岩周里紗(いわちかりさ)と申します。

1990年9月18日 愛知県名古屋市生まれ 
Athletes USA アジアダイレクター
2013年 東北福祉大学 卒業
2010年 JGAナショナルチームメンバー
2015,2016年 JLPGA単年度登録選手
2020年 ALPGメンバー

現在は世界で活躍するプロゴルファー🏌️‍♀️🌏を目指しながら、私と同じように強い野望を持った若者達のサポートをしております🤝

「若者のサポート…?実際には何をしているの…?」

実際にどんな事をしているかについては別の回で書いていきたいと思いますが、今回は初めてなので、まずは私が誰なのかを皆さんに知って頂けたらなと思います。
そうすると今私がやっている活動を何故やっているかをより皆様にご理解頂けるかと思います☺️

このnoteの方向性としては、ゴルフを通じて色んなところを旅する上で、私が感じたこと、日本と他の地域の違いなどをお伝えできたら良いなと思います。

お付き合いよろしくお願い致します😊

小学生時代

幼い頃は(から笑)とても活発的でいつも男の子に混じって球技を楽しんでいました。
どれくらい活発的かというと、雲梯を何個飛ばしとかで渡ったり、ドッジボールで最後男の子と一対一で残るぐらい活発な女の子でした🙂

両親はとても教育熱心でありとあらゆる習い事をさせてくれました。

そろばん、お習字、ピアノ、水泳と週7日中6日間は習い事という小学生ながらとても忙しい毎日を過ごしていました。(ピアノはカクレンジャーの放送時間と被ってて辞めたのは内緒です🤫 ケインコスギさんがかっこよくて🤦🏻‍♀️未だに大ファンです)

そんな充実していた小学生時代を過ごしていたある日、私の人生を変える様な出来事が起こりました。

ゴルフとの出会い

それは1997年、タイガー・ウッズ選手がマスターズでメジャー初優勝した時のことです。

小学校に登校するまでの時間たまたまテレビ📺をつけていたらマスターズがやっており、そこで林から物凄いカーブが掛かったボールを意図も簡単に打ったり、すごいところからパーセーブしたりするまさにマジシャンの様なタイガー・ウッズ選手の姿を観て私は彼の虜になりました。

(Resource : Nike - Ripple)
↑まさにローリー少年の様な感じですね。
『私もこんな風に観る人を虜にするようなプロゴルファーになりたい』と思うようになりました。
それからしばらくは本格的にゴルフをするチャンスが中々訪れませんでしたが、ゴルフ熱が覚めることなく、母親に買ってもらったおもちゃのゴルフクラブをいつも持ち歩き、振り回していました。

だんだん私の両親や周りの方々が私のゴルフに対する思いを応援してくださる様になり、ジュニア用のクラブセットを頂いたり、レッスンをしてくださったり。

そしてついには坂田塾というジュニアゴルフスクールがあるという事を周りの方が教えて下さり、小学校5年生で初めて面接に行くことになりました。

坂田塾

面接では坂田塾長と事務局長、次局長と3人の大人に囲まれてドキドキ💓

何を聞かれるかと思えば、「腕立て伏せ10回できるか?」ということだったので、腕立て伏せをして面接終了。
おてんば娘の私にとって腕立て伏せは朝飯前だったので、逆に呆気に取られてしまいましたが、合格でした💮😆
その当時通っていた習い事は水泳も含めて全て辞めました。

坂田塾はゴルフ用品からレッスン代、ゴルフ練習場にゴルフ場の利用までゴルフに対する環境を全て無料で提供してくださった素晴らしいジュニアゴルフスクールでした。
ゴルフのことだけでなく、『文武両道』が坂田塾長のモットーでしたので、小学生時代は漢字を、中学生になると英語と漢字の書取りを毎日1ページずつやっていました✍🏻
挨拶、目上の人に対するマナーやお礼状の書き方など、大人として成長して行く過程で、ゴルフ以外の人間として大切な事を沢山教えてくださいました。
今の私があるのも坂田塾長、そして関係してくださったみなさんのお陰です。

長い名前の中学校

中学校は愛知教育大学校附属名古屋中学校🏫という国立の中学校に地下鉄で通っておりました。(余談ですが、高校ゴルフ連盟の規定で試合に参加する際、袖に学校名の刺繍を入れなければならなかったのですが、中学校にはゴルフ部も無かったですし、自前のポロシャツに刺繍を入れていたので、とても長い学校名のおかげで費用も嵩みました😂💰)
家に帰宅してからまず宿題を済ませ、両親が仕事から帰宅するなり練習場に向かっていました。少しでも練習時間を確保するためにほとんど毎日、練習場に向かう道中で夕飯を済ませていました🚗🍱
平日は練習場に、土日はゴルフコースに通うという生活を365日していましたが、沢山の仲間がいる中で切磋琢磨しながらゴルフをしていてとても充実していました。

今はもう知られていないかもしれないので、少しだけ坂田塾時代の事に関して触れてみようと思います。
まず、坂田塾は保護者や家族の関係者がゴルフをする家庭の入塾は認められませんでした。それは親御さんがゴルフを知っているとゴルフに関して口出ししてしまい、怒られてしまう→怒られるのを恐れて成績が悪くなる or 怒られるのを恐れてズルしてしまう という環境を排除したかったからだそうです。

そして、坂田塾のユニークなところは入塾して一番最初は、6番アイアン、サンドウェッジ、パターの3本、さらに裸足、グローブ無しそして、ショートスイングでゴルフを始めます。
グリップテストやスイングテスト、設けられている基準をクリアするたびに、靴が履けたり、ゴルフ場でプレーが出来るようになったり。クラブが3本から7本、7本から14本と増えてステップアップしていきます。
そのステップを経てようやく試合に出られるようになります。
私が大会に出始めたのが中学校に上がった頃、そして、中学校2年生で初めて全国大会に出ることが出来ました☺️

その頃です。
宮里藍さんがミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンで高校生アマチュアとして優勝されて、とても大きな刺激と衝撃を受けました。

宮里藍さん - みんなのアイドル -

その当時東北高校は、団体戦のメンバー5人中4人がナショナルチームメンバーで更に全国大会の団体戦3連勝中というまさに女子最強のゴルフ進学校でした。ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンで高校生アマチュアとして優勝された宮里藍さんと、坂田塾東海校の先輩であった原江里菜先輩もこの最強女子ゴルフ部の一員でした。東北高校はゴルフに対する環境もとてもよく、高校でゴルフ進学をするならここしかないと考えていました。

そして、なんと我が家は家族毎名古屋から仙台に引っ越す事を決断したのですね。
理由は、、、小さい頃から両親にほとんど毎日指圧で身体のケアをしてもらっていたので、両親から離れて寮で暮らしたらケアをどうしていこうか?ということが我が家としては大きな課題でした。
結局結論が見つからず、一家4人で仙台に引っ越してきましたが、今振り返っても家族には感謝しかないですね。

さて、長くなってしまったので、一旦この辺で区切りたいと思います。

次回は、高校時代から詳しく書いていきたいと思います🙂

ここまでお付き合い頂きありがとうございました🤗

記事を気に入って頂けたら、ぜひサポート頂けたらとても嬉しいです。
皆さんからのサポートが、もっと沢山の向上心に満ち溢れている若い世代のアスリートをサポートすることに繋がります🙏
もちろん「スキ」もモチベーションに繋がるので、気に入って頂けたらスキを押して頂けるととても嬉しいです😆
よろしくお願い致します🤗

記事を気に入って頂けましたらサポートを頂けますと幸いです。 皆様からのサポートが向上心に満ち溢れているもっと沢山の若い世代のアスリートのサポートをすることに繋がります。 スポーツの力でもっと日本を元気にして行きましょう! Team work makes dream work!