燻るものを出し切る為のnote再開

久々にnoteを触った。
自分に燻るものを出し切りたい、完全に自分の為に。

いつの間にか萎んでた自分のエネルギー

コロナ禍といわれだしてから、私はあまり意識してなかったけど、いつの間にか無気力になっていたみたい。
私はそんなにみんなでワイワイしたいタイプじゃなくて、一人の時間も結構ほしいタイプ。
なんだったら、結構な頻度で「仙人みたいな生活(=人と合わずにひっそり生活)したい」と思うような人だったから、リアルで人と合わない生活サイコー!!とまで思ってた。
ぶっちゃけ交流自体はネットでいくらでもできるしね。
けど、外に出れないということは、色んな場所にいって、新しい感覚を体験するということもできないということ。
これが案外自分の中でくすぶってたみたいで。
最初は、「家から出ないこの間に、副業とかいろいろ進めてみよう」と思ってたのに。
「外の世界での新しい感覚の補給」というものができなくなり、時間がたつとともに、「自分はどうせ何もできない」ってなってしまっていたのかもしれない。
まぁあとは、借金もあったので、コロナが終わっても結局どこもいかずに・・・。
いつの間にか、何かを始めても無意識で「自分じゃ無理」ってなってしまっているのか、少し始めて進めるだけで、なんか気力がしぼむようになってしまっていた。

「女の法則」との出会い

どうしていいかわからずもがく中、先日、ふと八木さやさん(現吉野さやかさん)のことを思い出すことがあった。
だいぶ長い期間離れていて、もしかしたら3年ぶりぐらいの再会、かな。
ブログを久々に見て、最近新刊を出していたことを知ったから、早速その日に買いに行った。
それが、「女の法則」。

さやさんが言っていることは、とどのつまり「自分軸で生きることの大事さ」。
ではあるんだけど、伝え方がいちいち本質をついていて、いちいちハッとなる。
ふわっとした生易しい言い方ではなく、奥まで突き刺されるような言い方。
だからこそ、強く気付いた。
私、自分軸を完全に置いてけぼりにしていたって。
何をするにも、他人のやり方に合わせることが増え、自分を深く見て実現することを完全に忘れてたって。
最初は、自分があるから他人も認められる、それだけだったのに、いつの間にか他人に合わせることを頑張ってしまっていたって。

自分を視て、まずは出し切る

心臓に手を充てた時に、自分に溜まっているものがあるなぁとひしと感じた。
このままの状態を放置すれば、きっとやりたいことも何も進まないと思った。
実際、やりたい、やらなきゃと思っていることはあるのに、結局ウダウダ考えて何も進んでいないことが続いた。
結局、いったん出し切らないと、進むだけの力も戻ってこないで、今のウダウダする生活が続くと思ったから。
逆に、出し切った後どんな人生になるのか、すごく興味もあるから。

ちょうど15年ぐらい前、もっともっと私が他人軸で生きててがんじがらめになっていた時に、windowsのメモ帳機能と、ノートで同じようなことをやったことある。
その時は、20年近く「自分以外の人の観念で生きていて、自分軸などというものは知らなかった、持ってはいけないと思っていた」というとこから脱却だったので、自分の観念出すだけで半年以上もかかったり、色んな人の助けも借りまくったけど・・・出し切った後はすっきりして、仕事もプライベートもすべてがうまくいくようになった。
その時の感覚もやり方も覚えているし、あまりに自分軸から離れるようなら自衛をすることも定期的にしているから、今回は出し切るのはやそう!

というわけで、数日、もしかしたら数週間になるかもだけど、出し切ることに専念します!

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