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キョウカンキュレーターとして、わたしが創りたい「セカイ」

これを書くことに、勇気が必要でした。
ずっと自分が認めたくなかった、弱くて醜くて
人に知られたくない部分も出すことになるから。

だけど、自分の人生を語るのに
これから私が創りたいセカイを語るのに
避けては通れない部分だと感じたので筆をとっています。

ここから書くことは、
キョウカンキュレーターとして
これからどんなセカイを創りたくて
なぜそこに至ったのかという、わたしの現在進行形の物語です。

あなたの貴重な時間をすこし、
わたしに頂けると、とてもうれしいです。


想像力豊かで優等生だった幼少期

とにかく本やピアノや手紙を書くことが大好きで、想像力が豊かな子どもだったと思う。「練習しなさい」と言われた記憶がないくらい、毎日自らピアノに向かっていたし、一夏で視力が1.5から0.2になるくらい、毎日大好きな本を読み漁っていたし、友達や母親に毎日のように手紙を書いていた。
将来は作家になりたいって漠然と思ってたなぁ。

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それと同時に、周りに認められたくて、褒められたくて、比較的なんでもできる優等生になっていった。「これが正解なんだよ」と指し示されれば、そこに向かって全力投球。できていない子がいれば助けてあげる。そうやって、他人からの評価で、自分を肯定できていた。「社会が定義した頑張る」を頑張ることに、なんの疑問を持つこともなかった。

だけど、その生き方を続けていると、ボロが出始めた。それを強く感じたのが大学生の頃だった。

大好きな音楽と大嫌いな自分に出会った大学時代

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ひょんなことをきっかけに、大学からジャズピアノを始めることに。今までやってきたクラシックとは違い、ほとんどがアドリブで構成される。その場に集まったミュージシャンと、空気を読み合いながら音を創りあげていくという、緊張感と躍動感ある音楽。そこには、この通りに演奏すれば「正解」なんてものはなかった。なのに、気づけば自分の作り上げたい音楽の「正解」たるもののハードルを、自分でどんどん上げていってた。「正解」なんて存在しないはずなのに、そこに到達できない自分がどんどん嫌になり、100回演奏すれば、99回は自分の鳴らす音が嫌で嫌で泣いていた。

まわりにどれだけ褒められても、「正解」に達していない自分には価値がない、と自分のことを認められず、ネガティブの極みに陥っていった。

「自分が感動したような音楽を紡ぎたい」

そうやって心が動いて、楽しくて始めたはずの音楽だったのに、気づけば「醜くて嫌いな今の自分から脱したい。」それがモチベーションになっていた。なかなかしんどかったな。

ニューヨークで感情を大事に生きる人たちとの出会い

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大学卒業後、大手ブライダル会社へ就職をし、仕事にやりがいも楽しみも感じながらも「20代のうちにもっと修行したい」と思うようになり、仕事を辞め、感情の向くまま、単身ニューヨークへ渡った。

そこで衝撃を受けたのが、「やりたい」「こう在りたい」「挑戦したい」という感情に正直に、まっすぐ夢に向かって動いている人たちとの出会いだった。

「ああ、こんな生き方もあるのか。」

漠然とそんな生き方に憧れを持ちながらも、明確な「やりたいこと」がわからなかった自分は、どう進んでいいのかもわからず、何者でもない自分にひたすら劣等感を感じていた。その劣等感を埋めるためと言ったらアレだけど、自分の経験が活かせる日系留学会社に就職した。肩書きができたことに安心した。そうやって自分を納得させたんだ。

感情に素直に生きている人が羨ましくて眩しかったけど、正直、やり方がわからなかったんだよね。

母からの一本の電話

そんなニューヨーク滞在中に、母親からの一本の電話が鳴った。内容を聞いて、全身の血の気が引いた。父がガンになり、あと1年生きられる確率は1/3だと。それまでの父との関係はお世辞にもいいものではなかった。10代の頃から父には相当冷たい態度を取り続けてきた。だけど、この世にたった一人の父親がいなくなってしまう。このままだと一生後悔する。私は、日本に完全帰国することを決めた。

ずっとまともに話していなかった父。後悔したくないと思いながらも、なかなか子どもの頃のように素直に接することは簡単ではなかった。だけど、初めて二人きりでご飯に行ったりしたことで、今まで知らなかった父のポジティブな部分をたくさん知ることになった。あ、お父さんってこんなにもすごい人だったんだ。

万博と人生が変わる出会い

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留学会社で働きながら、とある方をきっかけに、2025年の万博誘致に向けて、熱く活動している団体の存在を知ることになった。自分が海外に出て、当たり前の価値観がひっくり返ったことで、自分の目で肌で、直に感じる経験に勝るものはない!と確信していた私は、50年先の未来を自分の肌で体感できる『万博』というものに「なんて夢があるんだ!」と瞬く間に惹かれ、プロジェクトに参入することに。

その団体(一般社団法人GOTO2025プロジェクト)の代表を務める白濱良太さんは、『精神的にも経済的にも自立をし、日本を豊かにする日本人を増やしたい』との思いで起業家の育成を行っており、彼の描く未来や夢に心打たれた私は、ちょうどそのタイミングで募集していた秘書に直感で応募した。

しかし同時に、日を追うごとに父の容体は悪化していった。新たな挑戦へのチャンスを掴みたい、と思いながらも「人生において本当に大事なものは何か?」を考えた結果、勤めていた会社に介護休暇を申請し、しばらく家族と過ごす選択肢を取った。

父の死から覚悟したこと

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これから父との時間を大切に過ごそう、そう思った介護休暇に入る前日。父は亡くなった。父は私を待ってはくれなかった。私が予定していた明日は来なかった。明日が来る保証なんてなかったんだ。

「あぁ、私が生きている『今日』は、どれだけ生きたいと思っても生きられなかった父の『明日』なんだ。」

そう感じた私は「自分の人生を生きねば」と心の中で深く、そう覚悟した。白濱さんとの秘書の面談の翌日、私は留学会社へ退職願を提出した。


新たな挑戦と葛藤

会社員を辞め、それからは新しいことへの挑戦の連続だった。
秘書として、より良い世の中作りのために、社会にムーブメントを起こそうとする起業家の方たちをサポートしながら、自分自身も、ニューヨークで出会ったような、感情に正直に、ポテンシャルを活かしながら、夢にまっすぐに進む挑戦者を増やしたいとの思いが強くなっていった。

それから挑戦したことはこんな感じ↓

・海外のSDGs事情を日本に持ち込んだり、すでに世界でSDGsをベースに活躍している方々のインタビューを発信するメディア運用
・海外現地調査(NYのサステナブル事情調査、国連にて日本政府代表部の方や国連公認NGOの代表理事との対談等)
・日本で上記の報告会や報告動画作成&販売
・経産省で自身のプロジェクトのプレゼン
・SDGs交流会を毎週行い、海外からもゲストも招きながら、半年あまりでのべ400名以上を集客
・万博カウントダウンイベントのメイン運営メンバーとして6000名を集客
・某大学でのキャリアデザインクラスのゲスト講演
・その人の本来持っている強みを発掘するセッションの実施 etc...

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「知らない」「やったことない」のないこと尽くしの中、「自分には無理だ」と何度も枕を涙で濡らしながらも、白濱さんや起業家仲間など、同じ方向を向いて共に挑戦し、協力し、応援し合えるキョウカン者がまわりにいたことによって、なんとか前に進んでいくことができた。自分一人だったら、とっくの昔に心が折れてしまってただろうな。

そんな中、自分の中でどんどん大きくなる"もやもや"があった。「人に認められたい」「人から評価されたい」という承認欲求だった。これがものすごく厄介だった。

人に認められることで、自分の価値を感じられる、という気持ちが大きくなり、認めてもらえないとひどく落ち込んだり、「役立っていると思われたい」という承認欲求が大きくなるがあまり、プロジェクトの本来の目的からぶれてしまったり、形にならない、ということもしばしばあった。できている人への嫉妬心や、できない自分への苛立ちも大きくなっていった。

「自分の人生を生きよう。」

そう覚悟したはずなのに、なんでこんなにも感情に振り回されて、うまくいかないんだろう。

自分の弱さと向き合ったことで見えたこと

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そこで、助けを求めたのが、自分のまわりの信頼するキョウカン者の方々だった。彼らはいろんな形で力を貸してくれた。

そして、そんな自分と向き合うための入り口の扉となったのが、父の存在だった。何よりも一番素直になれず、一番子どもの部分を出していた父。「ごめん」も「ありがとう」も「助けて」も、なかなか言えなかった父。

そうやって、人の力をお借りしながら、父への感情を出していったことで、ずっと見たくなかった、向き合いたくなかった、知られたくなかった、自分の弱くて醜くてずるい部分に気づき、ようやく自分自身でそれを受け入れられるようになっていった。人にばかり求めていた欲しいものを、自分で自分に与えてあげられるようになっていった。自分には何ができなくて何が足りないのかも受け入れられるようになり、少しずつできない部分は人に頼ろうと思えるようになっていった。まだまだ発展途上だけども。

変わることを求め続けていた自分が、父を通して、変わらない自分の弱さや醜さを受け入れたことで、初めて自分を愛せる自分になっていった。「こうすべき!」という強がってばかりの自分の枠組みが外れたことによって、ようやく、自分の本当に大事にしたい感情に手が届くようになった。そんな感じ。

それができるようになったのも、同じように、もがきながらも助け合えたり、導いてくれたり、支えてくれるキョウカン者が自分のまわりにいたから。逃げずに向き合えたのは、そんな方々がいる環境に身を置けていたから。そう思う。

キョウカンキュレーターとして創りたい「セカイ」

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自分の感情を大事に、夢に向かって無我夢中に動き出している方は、弱さや痛みも経験した上で、今を必死に生きている。

夢はたった一人では叶えられない。

だから、そんな挑戦者が夢を実現させるために、"キョウカン者"を集めるお手伝いがしたい、これが私のやりたいことです。

そして、正しく在ろうとしたり、「社会が定義する頑張る」を頑張るのではなく、「やりたい」「こう在りたい」という自分の感情を大切にしながら、自らで人生を豊かにする人で溢れるセカイ、これを作っていきたいのです。

人一倍共感力が強く、ヒトの心の動きに敏感。だけどそれを大事にしてきた私だからこそ、どうやったら人の心が動くのか、どんな言葉だと伝わるのか、どうすればキョウカン者は集まるのか、そんなことを、クラウドファンディングやSNSなど、キョウカンを集める装置を使いながら、夢を実現させたいあなたの真横でサポートをさせてもらえると、とても嬉しいです^^


ここまで長文を読んでくださり、本当にありがとうございます。
もし、こんなセカイ創りにキョウカンしてくれる方がいらっしゃったら、とてもとても嬉しいです^^

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