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頭がいい人に憧れる人生

こんばんは、璃咲です。今日は月が大きくて綺麗でした。
明日は満月らしいですね。晴れてくれたら嬉しいなぁ。
今日は私の将来の夢について話そうと思います。
将来の夢、どのような職に就き、どのような人間になりたいのか。
そんな話を今回はしようと思います。

私の人生の中で尊敬している人が2人いる。
1人は小学校の先生、1人は中学校の先生。
私の人生に大きな影響を与えた人物である。
命の恩人と言っても過言ではないほどにお世話になった。
小学4、5年生の頃から私は教師になりたかった。
「あの先生みたいになりたい」その気持ちは今も強くある。
尊敬する人物と聞かれて真っ先に挙げるこの2人に共通するのは、
教師としても人間としても素敵であり、魅力に溢れていること。
私は教師に対して、「この先生の授業は好きだけど人間としてはあんまり好きじゃないな」という感情か、その逆の「この先生の人間性は好きだけど授業は少しわかりにくくて好きじゃないな」という感情のどちらかを抱くことが多い。
例外として、「どっちも無理」「どっちもガチで好き」がある。
その「どっちもガチで好き」に当てはまったのがその2人の先生である。
そして頭がいい。考え方も学歴的な意味でも、とんでもなく頭がいい。
努力する人、天才とはこういう人のことを言うんだなと思った。
(私は天才というのは多種多様で、本当に生まれながらに才を持つ人もいれば、努力して才能を得た人もいると思っている。)
私は成績はそれなりだったけれど、テストで点を取ることはそんなにで、提出物や授業態度で成績をあげ、それなりの成績を取っていたので天才ではなかった。
だから、その先生や周りにいた頭がいい友達が輝いて見えたし、中学受験に成功した人たちが心底羨ましい。

中学に上がって、教師に自分の家庭環境やメンタルについて相談するようになってからは新たに教師を志す理由ができた。
「教師は、子どもにとって親の次に身近な大人」
そんな考えが生まれたからだ。
実際、私は両親含め親族に家庭環境やメンタルについて相談しようだなんて一度も思えなかったし、先生がいなければどうなっていたかわからない。
まぁ、嫌いな教師にさせられた嫌な思いも数えきれないほどあるし、結局今は不登校なので相談したことが正解かと聞かれればわからない。
しかし、いつかどこかのタイミングで私は壊れる運命だったのだと思う。
なら、この中学生という時期にそれに気づき、休むことができたのはある意味救いであったのかもしれない。
私が教師になれば、親を信じられない私のような境遇の子を救えるかもしれない。
そんな風に思うようになった。綺麗事だろうか。

私はどのような大人になりたいのだろうか。
教師になる、なったあとは?もし、どこかで別の夢ができたら?
私は考える。私は「尊敬される大人」になりたい。
たった1人でもいいから、誰かに尊敬されて、この人のようになりたいと、目標にしてもらえるような大人になりたいと思う。
そのために、今から勉強や自分のメンタルについて理解を深めていきたいと思う。
そして、人に優しくできるようになりたいと思う。
では〜👋


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