こんばんは。 今回は、自己紹介をさせていただきます。 名前は璃咲(りさ)といいます。 本名ではありません。 中学3年生、14歳、現在不登校です。 通信制高校に進学予定です。 部活では部長をしていました。 何部かは…とても珍しいので秘密です。 文化部とだけ言っておきます。 私は家庭環境や友人関係でのトラブルから、精神を病み、中学に入ってからそれが爆発。 学校の先生方に相談しつつ、なんとか中3まで頑張りましたが、3年生になり、なんと学校の先生方とトラブル。 次第に学校へ行
中一の担任にこんなことを言われたことがある。 「ご飯が出てきて雨風凌げる場所があるだけで幸せじゃん」 私はどうしてもその言葉を受け入れることができなかった。 自分の現状を幸せだとは微塵も思えなかったから。 どうしたってクラスメイトは私より幸せそうだったから。 家族に暴言を吐かれて手首を切る日々を、早く終わらせたかったから。 でも、それは私が恵まれているからなのかもしれない。 欲しいものは買ってもらえたし、一人っ子だから両親の愛情を十分受けられたし、勉強だって人並みにできて、人
こんばんは、璃咲です。今日は月が大きくて綺麗でした。 明日は満月らしいですね。晴れてくれたら嬉しいなぁ。 今日は私の将来の夢について話そうと思います。 将来の夢、どのような職に就き、どのような人間になりたいのか。 そんな話を今回はしようと思います。 私の人生の中で尊敬している人が2人いる。 1人は小学校の先生、1人は中学校の先生。 私の人生に大きな影響を与えた人物である。 命の恩人と言っても過言ではないほどにお世話になった。 小学4、5年生の頃から私は教師になりたかった。
こんばんは、璃咲です。私はとてつもなく人と話すのが苦手です。 どんなに仲のいい人でも目を合わせて話すことができないし、会話の後には 「うわ絶対あの発言嫌われた死にたい」と、超ネガティブ思考に沈みます。 それ以前に人間関係が下手なんですよね。 そんな私の人との関わり方についてお話ししたいと思います。 友達がいない 私には友達がいません。 でもこれを知り合いに言うと、 「嘘でしょ〜〇〇とかいるじゃん」「私は友達じゃないの!?」 みたいな反応をされます。 こう言われるのは仕方が
漢検3級にやっと合格しました。 以前受けた時は3点足りなくて不合格。 その後調子に乗って準2級を受けて見事撃沈。 今回やーっと3級に受かりました。 国語は好きで得意なんですが、文法や漢字など覚えるものが多い分野は苦手。 高校卒業までに2級までは取りたいなと思っているので、次は準2級! 勉強頑張ります〜 ちなみに英検は3級の一次試験に落ちました。もうやりたくないです。 二次試験に落ちたっていう子は周りに結構いたんですが、一次に落ちた人はいませんでした。 英語ができないの本当に嫌
こんばんわ。そろそろ冷え込んできましたね。 冬だなぁと思いつつ、果たして秋はあったのかと思います。 紅葉を見られなかったのが少し勿体無かったかもしれない。 私の通っていた小学校は、銀杏並木があって、この時期は銀杏の葉が落ちてカーペットになっていたのが懐かしいですね。 私は今日、少しお高めの上着を買いました。 一ヶ月ほど前からこのお店気になるなーと思っていたんですが、ついに買ってしまいました。 少し前の投稿でも書いた気がするのですが、私は冬の服装が大好きです。 私は年中同じよ
タイトルを見て「は?」となった方、正しいです。 この感覚はあまりうまく言語化できていないし、周りにも話したことがほとんどないものなので、こんなタイトルになってしまいました。 とりあえず、私が持ち得る語彙を全て使って今から説明するのでちょっと読んでいってください。よろしくお願いします。 始まりは小学生のミニオン鑑賞 私、自己紹介でもお話ししたのですが、読書が好きなんです。 文学というものが、物語というものが大好きなんです。 ↓自己紹介はこちら↓ しかしそんな私、ドラマ、映
雨の湿った香り、秋の金木犀の香り、外の空気には何気ないけれど、印象に残る香りがある。昨日外に出ると、冬特有の寒空の香りがした。 寒いなぁとは思ったけれど、冬の訪れを感じられて少し嬉しかった。 冬のファッションって上着を着れば色々と誤魔化せて何を着てもそれなりの見た目になるので好きです。 では〜👋
こんばんは。璃咲です。 今回はなんか、真面目な話です。 幼稚園の年長ぐらいから中二ぐらいまで公文に通っていました。 公文に通っていた人は結構いると思うんですが、私が知る限り算数・数学と英語をやっている人が多いみたいですね。 あと小学生で辞めるらしいですね。 私も一応、国語、数学、英語、全部やったことはあります。 ですが、最後までやっていたのは国語だけです。 ちなみに国語をまともにやっている人は本当にいません。 今回はそんな私が、公文の国語について語る回です。 一応はじめに私
昨日の夜、とんでもなくメンタルが死んでいた。 理由は母。酔った母の愚痴やだる絡みを受けていると、昔のことを思い出してしまった。 辛くなっていつ戻りノートに気持ちを殴り書きしていると涙が止まらなくなった。 そして口から「助けて」と言葉が溢れる。 誰に助けを求めているというのだろう。 私のことを最後まで助けてくれる人なんて一人しかいなかった。 その人さえ、私から手を離してしまった。 なのに助けを求めるだなんて、私の人生は惨めだと思った。
最近、変な夢ばかり見る。 少し前はリビングで寝ていたこともあり、金縛りからの悪夢が続き、寝るのが恐ろしかった。 自室で寝るようになり、悪夢はあまり見なくなったが、夢に学校や学校の人が出てくることが増えたような気がする。 教室で時間割を凝視して、どの授業までなら耐えられるかと苦しみながら思案する夢。 部活の同期と引退の日に話す夢。 そんな夢を見る。 学校なんて嫌いだと思っている。 正確には、学校にいる人々やそれが作り出す空気、環境が嫌いだ。 部活も友達も信頼も役職も全て無く
中学に入ってからほとんどずっと、希死念慮を抱いている。 ずーっと死にたいと言っていた時期もあった。 学校の先生に相談していたけど、辛いまま。 試しにと手首を切ってみるも、余計に悪い癖ができて死にたくなるだけ。 今は何だかんだ、『死ねたら死にたい』ぐらいのメンタルに落ち着いている。 でも、中一の頃にとある先生が言った一言が忘れられない。 「死ぬのに必要なのは勇気じゃない」 私はこの言葉を聞くまで、自分がこんなに死にたいのに死ねないのは勇気が足りないからだと思っていた。 で
今日はゆるい話です。 私はついこの間、部活を引退しました。 何部かは本当に珍しいので秘密なのですが、私は部長をしていたこともあり、部活に対して並々ならぬ思い入れがありました。 3年生になって、2ヶ月程で私は不登校になった訳ですが、それでも私は部長としての仕事だけはどうしてもしたくて、それに部活が大好きだったので部活だけは行っていました。 もちろんこの行動は不信感を持たれたこともあったらしいですが、 そんなの知らねー!!! 私が不登校になったのは学校が原因の主です。 もちろ
私は今でも忘れられない程、感情を突き動かされた思い出がいくつかある。 今回はそのうちの一つについて書こうと思う。 中学一年生の頃。 家から出て、1人っきりの時間を作りたかった私は、習い事に歩いて通っていた。 距離もまぁ歩ける距離で、夜の空気が好きだったのもあり、楽しく歩いていた。 その日も習い事が終わり、寒い冬空の下を1人歩いていた。 住宅街の中には、夕食の準備をしている空気を感じる家もあり、いい香りがした。 いつも通りの道をいつも通り歩いていると、明かりが灯った暖かそ
昔から思考が止まらない子供だった。 小学生のときは登校中、話す友達もいなければ、家から学校がかなり遠かったので、ずっと考え事をしていた。 当時はくだらないことばかり考えていたが、年齢を重ねるとそうもいかない。 家と学校が近くなった中学からは、登下校以外の時も、頭の中では渦が巻くように思考が廻っていた。 登校も下校も、結局1人が好きだ。 朝は動き出した人々を見られるし、部活帰りの夕暮れは心底美しいと思える。 もちろん、部活の子とあれこれ喋るのも好きだったが。 下校の時は
「人は声から忘れていく」 そんな話をどこかで聞いた。 実際思い返してみれば、大好きだった小学校の恩師の声も、毎日くだらない話をした親友の声も、なんだかぼんやりとしていた。 中学に上がって、沢山の人に出会って、楽しい思いも辛い思いもして、不登校になった今、お風呂で思い出したその話。 私は中学の恩師から、沢山の暖かい言葉を貰った。その一つ一つを大切に大切にと、胸の中で抱きしめていたつもりだった。 でも、その情景も声色も、どこかぼんやりとしていて、暖かさだけが残っている。 思い出せ