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競争、競走はダメ?

運動会のかけっこで、順位を付けない、なんてことがされるようになったのはいつ頃からだったか。
もうかなり前な気がする。

人と比べない、みんなそれぞれに個性がある、それはそれでその通りなのだろうけど、ただの美辞麗句なだけの気もしてしまう。

だって、かけっこが得意な子だっているわけじゃない。
その子の見せ場はどうなっちゃうの、って。


最近知ったのは、 定期テストの順位も付けない(子供に知らせない)中学校がある、ということ。

順位を一覧表にして、校内に貼り出したりはしない、とかいうのはまだ分かるけど、え、本人に知らせることもしないの?何で?って思った。

人と比べられることで、やる気がなくなっちゃう、とか、傷付いちゃう子がいるから、ということなんだろうか。

教育方針というのは、本当にそれぞれだとは思うけれど、でも、比べないこと、を過剰に押し出すのは、私はあんまり好きではない。

自分の立ち位置をきちんと把握してこそ初めて分かること、ってきっとあると思うから。

自分の立ち位置が分からなければ、努力すべき方向性も分からないままだ。
それは効率がわるい。

自分の立ち位置が分からなければ、自分のイメージの中でしか自分をとらえることができない。
それは行き過ぎると、ともすれば、山月記のような、臆病な自尊心と尊大な羞恥心、へと簡単につながってしまうのではないだろうか。

自分はどんなことが得意か、どんな特性があるのか、それらはどんな才能へと開花しうるのか、それは、人と交わった上でしか決して分からないような気がする。

人との関わりの中で、自分を表現していくこと、言葉を交わしてゆくこと、気持ちをぶつけていくこと、そして時には傷付くことも含めて、そんな時間を通じて、人は自分自身を初めて知ってゆく、そんな気がする。


だから何でも飛び込んでやってみればいい。

挑戦して初めて、ああ、世の中にはすごい人がいっぱいいるんだ、とか、今の自分じゃ太刀打ちできない、とか、あるいは、頑張ればもっと上を目指せるんじゃね?とか、そういうことが見えてくる。

自分自身を知ること、現状を直視すること、それを経て初めて、自分自身の挑戦ができるのだと思う。

多様性、みんなそれぞれに個性がある、オンリーワンの存在。

耳触りのよい言葉に包まれてばかりでは、多分本当の自分自身には出会えない。

人の中に入っていって、自分をさらけ出して、そこで恥をかいて、失敗して、それが一番、自分を成長させられるのかもしれない、とも思う。


みんなに個性、とか言われながらも、それでもやっぱり、スマホを見れば華やかな自己表現がいっぱいあって、そういうのが目立っちゃう。

でも、こういうキラキラにはなれない自分、みたいな、そんな引け目は感じなくてもいいんだよ、って言ってあげたい。

中学生、高校生の頃の私に。

その頃はスマホなんて、ガラケーすらもなかったけど(笑)、あったら、私はきっとそんな引け目を感じていたに違いないから。

本来の自分自身ではないものに憧れて、
本来の自分自身とはかけ離れた表現をしようとして、
本来の自分自身からはどんどん遠ざかって、
本来の自分自身を生きられなくなって苦しくなって、

そんなふうにならないでほしいな、って。


それは、スマホがどうとか、関係ないことかもしれない。

いつの時代でも、どんな人でも、何歳であっても、人が、まずすべきなのは、自分自身を生きることだ。

自分自身を生きるためには、まずは自分自身を知る必要がある。

自分自身を知るのには、いろんな方法があるだろうけど、でも、スマホの中だけじゃ見つからない。いくらユーチューブを見てたってネットサーフィンしたって見つからない。

人と関わって、いっぱい笑って、泣いて、時にはケンカしたり、傷付いたりしながら、やっぱり競争や欲も必要で、そんなものの中から、自分自身が分かってくると思う。

だから自分自身を知るまでは、人との競争も必要だ。


自分自身が分かったら、そうしたら今度は、自分自身を生きるための種を自分の中に蒔くことができる。

種が芽を出すまでは時間がかかる。

だけど、芽を出さない間、この種で本当にいいの?って不安にならなくても大丈夫。

だってあなた自身が、あなた自身を知って、あなた自身を生きるために、あなたが蒔いた、あなただけの種なんだもの。

それは、必ず咲く🌸。

水をあげて、お日さまの光を浴びて。

一日一日、自分の中に蒔いた種を、愛をもって育ててゆく。

咲く日だけがゴールなのではなくて、咲く日を楽しみに歩むこと、そのプロセスの中にもきっとたくさんの挑戦や達成感があったりするのだろう。

それを感じ取って、その都度幸せを感じながら生きること。

それは、とっても素敵な生き方だと思う。


この時にやっと、みんなそれぞれに個性、の話ができる。

種が芽を出すのは人それぞれ、
芽が出た後、いつ花が咲くかも人それぞれ、
どんな花が咲くかも人それぞれ、
いつ枯れるかも人それぞれ、
そもそも種を見つけるのだって人それぞれなのだろう、

みんな違ってみんないい、はこの時の話だ。























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