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ツインレイ小説第二部より抜粋⑤

物件が決まり、引越し日も決まり、引越し業者のロゴが入った梱包用の段ボールが、束となって届けられた。

これからしばらくは、ひたすら梱包、箱詰め。そして家の中には段ボールの山ができる。



私の心は、何ひとつ弾んではいなかった。

心の奥底、自分の中の一番真ん中、コア、核の部分。

その辺が、ずーっと、冷めている感じ。

内覧で、娘と一緒に初めてのオープンキッチンを見た時も、この部屋いいじゃん、ここにベッド置いて、とか目を輝かせる娘を見ても、不動産会社の人にあれこれ質問して、かなり乗り気だと分かる夫を見ても。

笑顔を貼り付けてはいても、ずっと私は冷めていた。

新しいお部屋、綺麗なキッチン、楽しそうな夫と娘。それなのに、わくわくする気持ち、が自分でもびっくりするくらい、なかった。


最終候補だったはずの二軒は、結局、夫と娘の気に入るところではなかった。

そして私が、家賃的にこれはない、と思っていた物件を試しに見せたら、それは夫と娘は一目で気に入り、あっという間に、そこに、決まった。


そこには、学習塾はなかった。


私の心の弾まなさは、それが原因なのかもしれなかったし、敷金無料キャンペーンでお得だったとはいえ、当初考えていた家賃額をオーバーしていたからかもしれなかった。

手取りの何割くらいが家賃にまわせるか、の目安から言えば、選べない物件ではないのかもしれなかった。

そして夫には、その自負もあるのだと分かる。だからこその即決ともいえた。

でも、私の中では、家賃ヘの心配がない、とは言い切れなかった。



引越し日を決める時、確認のつもりだけで聞いたことではあったのだけれど、夫は急かされるように感じたのか、追い立てないでくれ、と声を荒げた。ただでさえ予定が詰まってるんだから、と。
そうね、忙しくなるものね、とだけ私は言った。あれこれやってほしくて言ったわけじゃないのよ、とも。

夫の手を借りること、何かする時に夫をカウントすることがなくなったのは、もう十年以上も前からだった。

何か事があると、夫は逃げようと、した。

そんな夫に気付いてからは、相談とか頼るとか、私はしなくなった。全部自分で考えて、決めてやったほうが、私はラクだったし、夫もまたラクだったはずだ。

そんなことを思った私は、ふと気付く。


私は、夫を、今も信頼していないのだ、と。


これまでの引越し、そして今回の物件選びでの家賃も、私は自分のパート代と自分名義の預貯金とで、半年なり一年なりギリギリ捻出できるくらいの金額を、という意識で考えていた、と気付く。

それはつまり、夫がまた多忙から心を病んだらとか、また休職したらとか、そういう心配が前提にあっての意識だった、ということにも。

私はまだ、自らの心の中で、心配されるべき存在としての夫、をつくりあげていた、と気付いてしまう。

大分手放せたと思っていたのに。
夫の学びは夫の学びだと、自分とは切り離して考えられるようになったと思ってたのに。

私はまだ、心から夫を信頼してはいなかった、と気付かされる。

今度の転勤先だって多忙になるに決まってるから、何があるかは分からない。

それは、夫に何があっても私は支えることになるのだということへの決意というか、何があったって、娘のためにも私はどーんと構えて、生きていかなければならないのだという気持ちには違いないのだけれど、でも、その気持ちの出発点は、また夫が心を病んだら、休職したらどうしよう、という恐れなのだった。


私の中で、まだ手放せていなかった、恐れ。

それはとりも直さず、癒しきれていない、私の傷、でもあった。

心を病んだ夫を目の当たりにすること。心を寄せようとしても、言葉を尽くしても、夫には届かないこと。夫が自殺しようとしたのが娘の四歳の誕生日だったから、それから二、三年の間、私は娘の誕生日が近付くとその時のことを思い出しては動悸がしたり、なかなか誕生日の準備ができなかったこと。ノートいっぱいに、夫の仕事がうまくいきますようにと書いても、一人神社で夫のことを祈っても、夫は何も変わらなかったこと。

そんなことの数々。

よかれと思って夫に話すことも、ただ夫を泣かせるだけになったりして、何を話しても夫の心には届かない、夫を湯船に浸からせて髪を洗ってあげたこともあったけど、やっぱり死んだような目をしている夫に、私ができることなどもはやないような気がしていた。

そしてそんな私の姿は、君がいるから頑張れるよ、って言われること、愛する男に力を与えられる女神のような存在であること、の対極にあるともいえる、女として憐れで惨めな姿だった、と今の私には思える。

結婚生活の中で、付いた、傷。

夫も大変だったんだからとか、5歳、6歳の頃の娘の誕生日をもっと楽しくしてあげられなかった罪悪感とか、そういうのは一旦考えずに、私は私を癒やさなければ、ならない。

私を癒やせるのは、私だけなのだから。

私がこの傷を癒やし切った時、夫が心を病んだら、休職したら、の恐れは私の中からなくなる。
そうしたら、夫は私にとって、信頼感溢れる存在と、なる。

この家賃を払い続けられる夫。
転勤先でも、自分の心を大切に、できる範囲で仕事をこなしていく夫。
私と娘との日常生活を、大切にしてくれる夫。

そんな夫へと、変わるはずなのだった。



彼との暮らしを見据え、私が一人暮らしをする。その前段階、私の中では、つなぎに過ぎないような思いさえある今回の、引越し。

私は本当は、今すぐだって一人暮らしをしたかった。私はただ、堂々と、彼と愛し合いたいだけで、ただそこに向かいたいだけなのに、皮肉にも今私は、まずは夫を信頼しきること、を天から学ばされようとしていた。

その逆説に、私は笑う。

神さまは、今度は、こうやって、私をクリアになさりたいのですね、って。


夫を信頼しきってごらん、結婚当初のような、夫ヘの溢れる信頼感を思い出してごらん、って私に告げている天は、一体私に何を求めているのか。

それでもまだ彼との愛を貫ける?って私を試しているのかもしれなかったし、夫のことを、もう一回り大きい男にしてやりな、と言われているのかもしれなかったし、何よりも、全てを信頼して、宇宙に委ねてみろ、とも言われているのかもしれなかった。




















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