空間除菌
Oさんは私たちのママ友グループの中ではやたらと仕切りたがる人でした。というよりも自分が物事の中心でないと気に入らない人でした。ですから自分の意見が通らなかったり自分に関係ない話題の時は露骨に不機嫌になり、癇癪を起こすなんて事はしょっちゅうでした。正直言いますとOさんをグループから追放したいという気持ちは皆さんあったと思います。しかし、Oさんは思い込みが激しい上行動力があるため、グループから外したら何をされるかわかったものじゃありません。仕方なく私たちはOさんのご機嫌を伺いながらママ友付き合いを続けていました。
私たちのママ友グループが集まるときはいつもOさんの家で集まることになっています。Oさんの仕切りたがりな性格のせいで他の家でお茶会をすると、途端に不機嫌になってしまうからです。Oさんはいつもこちらの都合は関係なく、私たちをお茶会に呼びつけました。当然参加しないと何をされるかわからないので、私たちは仕方なくOさんのお茶会に参加していました。
コロナウイルスが広まり始めてからすぐの事でした。Oさんは相変わらず私たちをお茶会に呼びつけていました。私たちはウイルス感染の予防のために会うのは控えるべきだと言いましたが、Oさんは頑なに「大丈夫、問題ないから」と言うばかりでした。仕方なく、私たちはお茶会に出向くことになりました。ウイルス感染よりも、Oさんの癇癪を収める方を選んだのです。
私たちのママ友グループにNさんという人がいます。Nさんは大学で化学を学んでいたと言っていました。私たちのグループの中で一番が頭が良く、Oさんに対しても怯むことなく反論出来る人でした。Nさんは最後までお茶会の開催を止めるようOさんを説得していましたが、NさんもOさんが言っても聞かないことを十分身に染みていましたので、あきらめて折れていました。
Oさんの家に行くと、Oさんはマスクもせずに私たちを出迎えました。私達は慌てて着けるよう言いましたが、Oさんは余裕そうに家中に置かれた金属缶を指さし言いました。
「私が作った大和缶があるからこの家にウイルスは入ってこれないわ」
真っ先に反応したのはNさんでした。
「これに何の意味も無いわ。ただのオブジェでしかないの。今すぐマスクを着けて」
するとOさんはすぐに頭に血が上ったようで、勢いよくまくし立てて来ました。
「何を言っているの!? 大学出てるからって偉そうにしないでよ! 私は“真実”を知ったの! 権力に歪められた今の科学なんて役に立たないわ! 現にウイルスを止められてないじゃない!」
Oさんの言い分にNさんは頭を抱えていました。Nさんが何も言わないのをいいことにOさんはさらに強い口調でまくし立てて来ました。
「いい? 教科書に書いてあることだけが真実じゃないの。『歴史は勝者が紡ぐ』っていうでしょ? だから権力者によって握りつぶされた“真実”は存在するの。そうした歴史の裏の“真実”は選ばれた人々によって秘かに伝えられているの。私もその選ばれた人として世界に“真実”を伝える義務があるの。だからこうしてあなた達に教えようと思っていたのに、やっぱり選ばれた人でないと“真実”に目覚めないのかしらね」
どこか小馬鹿にしたようなOさんの口ぶりに私はいらいらしていました。多分Nさんはもっといらついていたと思います。それでもNさんは冷静に反論していました。
「もしその真実があったとしても論文として発表し、検証されなければ真実として認められないわ」
「権力が握りつぶしたらどうするの!?」
「必ず証拠が残るわ。それを基に再検証が行われる」
「周りの人間が全員グルになって潰してきたらどうするの!?」
「随分と極端な状況ね。作り出すのが非常に困難に思えるわ」
「奴らなら可能よ。世界の真の支配者だもの。奴らを追いやるためにも“真実”を知る必要があるの」
「だったら猶更無暗に人に言ってはいけないんじゃないの?」
「言って良い人の区別ぐらいつくわ。私は選ばれた人だから」
Nさんは頭の痛そうな表情をしていました。Nさんはため息をつくと、Oさんに背を向けました。
「皆さん、帰りましょう。これ以上は言っても無駄よ」
「何よ! せっかく私が目覚めさせてあげようとしたのに! Nさんは放っといてもんなで安心してお茶しましょう! 大和缶に空間除菌も組み合わたからこの家にコロナは来ないわ!」
「空間除菌出来る程の塩素が大気中にあったら、人間も細胞が溶けて死んでるわ」
「わかってないわね! フリーエネルギーが守ってくれてるから大丈夫なの!」
その瞬間、缶が破裂しました。学校のプールみたいな臭いが広がりました。
「外へ逃げて!」
Nさんが叫ぶと同時に壁や床、天井や家具が音を立てて崩れ始めました。私たちは慌てて外に出ました。床はぐずぐずに脆くなっていて走り辛かったのですが、何とか脱出できました。外に出た瞬間、Oさんの家は音を立てて崩れ去り、どろどろの液体にまみれていました。脱出者の中にOさんはいませんでした。Oさんの家の跡地には、金属や瓦や陶器だけ残っていました。他は全部どろどろの液体でした。
「まさか、塩素が家を溶かしたとでもいうの……?」
Nさんにわからないのですから、私にもわかりません。