【追想】亡き祖父に寄せて「願わくは、我に七難八苦を与え給へ」第3回

病院に着いた頃には23時を過ぎてきて、既に正面口は施錠されていたので、裏口から院内に入れてもらった。もう外の気温もすっかり下がっていて日中のような暑さはなかったが、院内は更に涼しく、全身に滲む汗が一気に引いていった。

県外からの訪問者は名前と住んでる都道府県を書く決まりになっているようで、私も名前を書かせてもらった。私の名前は祖父から一字貰っている。苗字も一緒だから、四文字の名前のうち三文字が同じ字だ。同じ書類に祖父と自分の名前が並ぶのを見るのは初めてかもしれない。あまりにも字面が似ているのが可笑しくて、少しだけ笑いそうになってしまった。

他に深夜の院内を歩く人はいなかったが、多くの人の気配を感じた。きっと一枚一枚の病室の扉の向こうに患者さんがいるんだろう。
祖父はどこにいるんだろうか。

二回か三回、角を曲がったところで、この部屋だと看護師さんが教えてくれた。静かに病室に入ると、三人部屋の一番奥に祖父はいた。
たしかに祖父だった。しかし、とても小さかった。
私と同じくらいの身長で、私と同じようにちょっとだけ肩幅が広い。そんな祖父はとても小さく見えた。
一目見て、もはや会話はできなくなっていることも明らかだった。そんな私の心情を察してか、そばに座っていた母が言った。

「呼びかけると目を開けるから、喋れなくても聞こえてるよ」
本当かどうか私には判断がつかなかったが、これまで多くの患者を看取ってきた看護師の母を信じることにした。

私がベットの横に座り、祖父の手を握ると、とても弱い力で握り返してきた。そして私は少しだけ顔を近づけて口を開いた。ところが私の口から言葉が出なかった。
私は何を話すか決めていなかった。
何を話せばいいか分からなくなってしまった。

手を握ったまま、少し考えた。
そして、言葉をかけた。

「ありがとう。会えて嬉しいよ」

この言葉が出てきたとき、私自身ですら言葉の意味を理解できていなかったと思う。
私が生まれて祖父と出会えたこと、今日までの思い出と、最期に会えたこと、全てに対する感謝だったのかもしれない。
本当に言いたかった言葉が、一切準備していなかった言葉が、私の口から出てきた。後になって振り返ってみても、これ以上の言葉は思いつかない。間に合って良かった。

三日後の朝、祖父は静かに息を引き取った。

(つづく)

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