risa
まとめてみただけ、です。
桜が咲くと春を感じる。 それと同時に、またひとつ年を取るんだと。 20代、そう言えるのも今年まで。 そういえば、高校時代の先生達が口を揃えていっていた。 「20歳過ぎたら、あっという間に30歳になるから!」 そんな馬鹿なことあるわけ…… なんて思っていたけど、本当にあっという間。 コロナ禍での最後の20代。 会いたい人が沢山いるのに会えない辛さはあるけれど、 会いたい人達が元気で過ごせますように。 また笑顔で笑い会える日がきますように。 あ。なにより。最近よく思う
悲しくても、辛くてしんどくても、それでも それでも生活は続いていく。いや、続けている。 立ち止まることが出来ない気がして、 悲しむ暇もなく、あっという間に流れていく。 凪のように、穏やかに、、 時には嵐のように、荒々しく キモチは変化していくけど それでもすすんでいる。 消化しきれない気持ちも、 忘れられない記憶も抱えてすすむのみ。 いつか忘れる、そんな日がくるのもこわいけど。 すすむしかない。
小さい頃から木の間や家の窓、 とにかく差し込むひかりがすきでした そのひかりのさきに行きたくて、 じっと眺めていると、「目、わるくなるぞ」と父に言われました 父はひかりのさきにいるのかな。祖父も祖母もいるのかな。 みんなひかりのさきにいるのかな。 なんて、おもった冬晴れの宮城県。
価値観 子供を産んで、母になった。 だからといって、強くなったわけじゃない。 やはりムスコはかわいいし、守りたい。 確かにムスコのためなら頑張れる。生きる糧。 でも、私は私で一人の人としても見てほしかったり、 母だけじゃなく一個人としても地に足をつけていたい。 だからこそ仕事をフルで戻って、働き始めた。 母って二文字が重すぎる。 確かに産んだのは私。でもムスコも同じ人で。私も人。 小さいけど、対等でいたい。 母になって、周りもどんどん母になっていって、 なんだか価値
幼馴染みと千円札握りしめて、年に1度いくおまつり。 一等は自転車。 実際嬉しくないのに、なんだか一等って言葉の魔力に騙され、みんな一等を望んでいた。(子供だけかな) 小1から中学に上がるまで、毎年。 そして今でも行われているまつり。 人も、まちも震災や時代の流れで変わったけれど、 それでも残るおまつりがあるのはしあわせだ。 #ふるさとの風景 #コラム #日記 #宮城県
2018.3.11 7年がすぎて、8年目を迎えました。 それぞれの7年から、それぞれの8年へ。 後ろを振り返りつつ、前を向こう。 小さな1歩でもいいから、前に歩こう。
「りさが結婚するまでがんばるよ」 父が亡くなった。 あっけなく、私たちの元から消えた。 父はいつでもわたしの味方だった。 高校が決まったときも、東京へ出るときも、 宮城へ帰ってくるときも、結婚するときも、 父は私のしたいことを反対したことはなかった。 怒られた思い出は一度だけ。 小さい頃から体が弱かったわたしは薬が手放せなかった。 「薬なんて飲まない!」 その日は一日機嫌が悪く、そんなことを言った。 「飲まないなら出て行きなさい」 初めて父の怒った顔を見た。怖く
子供の成長ってとても早い。 次会うときは、 どんな話を聞かせてくれて、 どんな顔を見せてくれるんだろう。 その時まで、頑張る。
あの日の記憶は、すぽっと抜けてる部分もある。 だけど忘れられない、忘れたくない。 今でも鮮明に覚えている記憶がある。 2011年3月11日の夜に見た、満天の星空。 あの場所であんなに綺麗な星を初めて見た。 星を見て、悲しいと初めて思った。 同じ気持ちの人は何人いただろう。
宮城県。私の生まれ育った場所。 今は離れて暮らしているけど、 一番大切な場所。 宮城で過ごしている人の笑顔が、 離れても宮城を大切にしている人の笑顔が、 もっと増えていきますように。 当たり前を当たり前だと思わないこと。 大切な人に気持ちを伝えること。 今日も生きよう。
にゃんこや、人、風景。 なんでもいいから撮る仕事をしてみたい。 そのためにはスキルを上げないと… そして自分にしか撮れないものを撮りたい。 どんな写真が私にはとれるかな。
ここは、 私の表現の場となるのだろうか。