獣王対こども2

獣王vs人のこども。

 

 俺は獣の王だ。形こそ小さいが、王なのだ。

 獣たちはみな俺を恐れる。

 犬たちは俺をみれば尾を後ろ脚に挟み、顔を舐めて臣下の礼をとる。

 だが、人間という奴は鈍いのでまったく気づかないらしい。

 俺が本当は小さな犬でなく、獣の王だということに。

「あ! わんこだ! かわいい!」

 

 人間のこどもだ。

 内心ちっ、と舌打ちをした。

 こどもというのはたいした食い物も持っていないくせに、やたらと触りたがる。

 俺は見た目だけなら真っ黒な長毛の小さな犬だ。

 耳は三角で、脚と大きな尻尾の先だけが白い。額には三日月の模様がある。

 人間のこどもが俺をかわいいと言うのは、まあ致し方がない。

 実際、俺の見た目は可愛いし、奴らは外見しか見ないからだ。

「わんこーー! こっちおいで!」

 無視だ。無視……

 だが、こどもというのは遠慮を知らない。

 たちまちつかまれ、抱き上げられた。

 小さな手が俺を撫で回す。

 こら! 気安く触るな! 

 俺は本当はちび犬ではないのだからな!

「ふかふかだーー!」

 もふもふもふもふもふもふもふもふもふ。

 俺様は獣の王なんだぞーー! 

 獣の王に向かってなんたる無礼……!

 

「かわいい! かわいいよう!」

 もふもふもふもふもふもふもふもふもふ。

 やめろ! 俺は、獣の王なんだからな……!

 もふもふもふもふもふもふもふもふもふ。

 やめろと言ってるだろうが! 俺は……獣の王……なんだぞ……

 知らぬうちに尻尾が旗のように左右にばたばたと揺れ始める。

 ちがう……俺は……俺は……

 もふもふもふもふもふもふもふもふもふ。

 あー、そこじゃない! そこじゃないというに!

 もふもふもふもふもふもふもふもふもふ。

 もっと右……もう少し……あーー! そこ……そこ……

 そこだーーーーー……………………!

 ああああああーーーた、たまらん……

 嬉しさが溶岩のように全身を駆け巡る。

 やさしい、温かい、人間の手。

 人間の手というやつは、犬を掻くためにできているようなものなのだ。

 そのとき、俺は一匹の小さな犬だった。

 俺はすべてを忘れた。

 旅の目的も、本当の主も、きれいさっぱり頭の中から消え去った。

 ただただ、人間の手が呼び覚ますよろこびに身を委ねた。

 もふもふもふもふもふもふもふもふもふ。

 はわああああああああああああ…………

「あ、母ちゃん!」

 不意に撫でていた手が離れた。

 どうした、こども……もっと撫でて良いのだぞ……

「それじゃね、ばいばいね、わんこ」

 こどもがぱたぱたと駆けていく。

 俺は茫然とこどもを見送った。

 ほどけた黒い毛糸玉になったような気分だった。

 こどもは母親と手を繋いで歩いていく。

 行ったか……

 一抹の寂寥感が俺の胸を去来した。

 ふん……

 こどもが寂しそうだから撫でさせてやったのだ

 人間のこどもというやつは、ひとりでは生きられない生き物だからな。

 起ち上がり、ぶるぶると身震いして乱れた毛並みを整えた。

 いつまでも人間のこどもなんぞに構ってはいられない。

 毛並みが乱れたままでは本当の主に出逢ったとき失礼にあたる。

(よし、行くぞ)

 本当の主を捜し出すその日まで、俺の旅は終らないのだ。

                                                   fin