精神科行って、1万2千払ってただ泣いて帰った
クリスマスも終わり、街の浮かれ具合も落ち着きつつある頃、私は初めて精神科のドアを開けた。
ずっと絶対に行くもんかと思っていたけれどしょうがない。これ以上彼に迷惑かけるくらいなら。
過呼吸で倒れたのはその3日前ごろ。その日はずっとなんか調子が悪くて、家の外に出るのがひどく億劫だった。
でも美容院に行かないといけなかったり、晩御飯を食べようと思ったお店が閉まるのが早かったりして、なかなか自分の思い通りにならない1日だった。
今までも家に帰るまで落ち着かない日は少なくなかったため、そんなに危機感はなかった。
この段々早くなる動悸も苦しくなっていく呼吸も家についたら落ち着く、そう思っていた。
『どうして私のこと捨てたの』
『すぐ他の人と付き合うんでしょ』
『あんなに好きって言ったくせに』
『遊ばれてたんだ』
『あの日私が声をかけてなかったら』
『あの人は悪くない』
『全部私のせいだ』
『全部、私のせい』
『ゼンブ、ワタシノセイダ』
暗い思考にだんだん飲み込まれていった。
いつもと同じ帰り道のはずなのに何故かとても遠く感じた。
部屋に入るなり、鍵もかけずにドアの前にしゃがみこんだ。
今日はなんかだめだ、だめな日なんだ。
やっとの思いでリビングまで移動し、コートを脱ごうとしたけれど指先の力が抜けていく。
あれ、今、息吸えてる?
それからのことはよく覚えていない。
後日、彼とのLINEに大量の不在着信とまともに打ててないメッセージが並んでいるのを見て我ながらめちゃくちゃ引いた。
私の助けを求めるメッセージに対し彼はずっと「病院に行きなさい」の一点張りだった。
流石にこの状態は健康ではない、そんなの分かりきっているけど。
母は中学の頃不登校だった。
無理矢理カウンセリングに連れて行こうとする祖母を振り切ってよく逃亡していたらしい。
兄は優しすぎるせいで脆い人だった。
詳しくは聞いていないが、地元の公立高校を途中でリタイアし、高校生活の後半は通信制の学校に通っていた。
高校を休むようになってから、兄は定期的に精神科に通院していた。
そこでカウンセリングを受けているとか、カウンセリングの先生がよくなかっただとかを私は母伝いに聞いていた。
弟は繊細で人の悪意に敏感な子。
人からの妬みが煩わしくなったのか、小学校の高学年からだんだんと学校に行かなくなった。
高校も通学すらしなくていい通信制の高校にし、毎日ゲームに勤しんでいる。
そんな兄弟のようになるまいといつもギリギリの精神状態を保ち続け、親や周囲に面倒をかけないように明るく振る舞っていた。
兄弟の話を聞いても、私にはそんな気持ちわからないや、というような素振りを見せるように心がけていた。
私まで「そう」なのだと分かったら母が悲しむと思った。父や周囲の人たちに非難されてしまうと思った。
だから何があっても私もあちら側へ転ぶことがないようにひたすら「自慢の娘」を演じ続けていた。
彼と出会ってからそんな過去すら忘れそうになるくらい心が満たされていった。
ずっと私が探していたのはこの人なのだと、ようやく自分の存在を肯定してくれる人に巡り会えたのだと思った。
彼さえいれば、あちら側へ転ばないで済むと思っていたのに。
しかし、今まで溜め込んでいたそれは彼と別れてから簡単に爆発してしまった。
毎日お酒を飲まないと寝れなくなった。
ひたすら飲んで頭がぼーっとしている時に目を閉じてなんとか夜をやり過ごしていた。
彼が褒めてくれた料理もする気が起きず、食事がまともに摂れなくなっていった。
彼が来ることがなくなったせいで部屋は以前のように散らかっていった。
彼がいなくなった部屋で過ごすことが苦痛で仕方なかった。
彼が肯定してくれた自分が段々とすり減っていった。
付き合った期間と別れてからの期間が同じぐらいになった頃、一度自殺未遂を起こし、救急車や警察沙汰にはならなかった(彼にも未だに話していない)ものの「このままだとダメだ」と流石に思い、一度実家に帰った。
実家でもどうやったら楽にいなくなれるのかをずっと考えていたが、痛いのも苦しいのも嫌だなと思い、生きたくもないけど、とりあえず一度死ぬのは諦めることにした。
そこからはせめて死ぬまでには彼ともう一度恋人に戻りたいと願いながら暮らしていた。
彼と一緒に過ごした楽しい時間が何度もリフレインする度、胸が痛くなるのにもだんだん慣れていき、「絶対、彼と結婚するから!」と周囲には言い放つぐらいの図々しさを兼ね備えるようにもなっていた(今は「もう好きになることはないから」と言いはなってきた彼に「それでも好きです!!!!!」と即答するぐらいになっている)。
ここでそろそろ病院の話に戻ることにする。
過去にも何度か病みまくり、風呂に入ることや、歯磨きをすることすらできなくなったことはあったが、第三者に迷惑をかけまくってしまったことや彼に「病院に行け」と何度も言われたことでようやく私は精神科に足を運んだ。
カウンセリング用のシートはいろいろな項目があった。
まあ当たり前のように自分に当てはまるところに丸をつけていく訳だけれども「いやあそれにしても当てはまりすぎわろた」と思うくらいには丸ばかりのシートになったのを覚えている。
カウンセリングルームに案内されると、座っていたのは私の倍ぐらいの年齢の男性だった。
どうせ今後会う予定もないかもしれない人だし、と思い私は洗いざらい全てを話した。
学校の先生と付き合い、別れ、心のバランスがうまく取れなくなってしまったこと、昔から兄弟に対する劣等感があったこと、親との仲が良くないこと。LGBTsの当事者であることにずっと苦しんできたこと。
そんな中、彼に出会ったことですごく救われたこと。
今心のバランスがおかしいせいで彼に迷惑をかけてしまっていること、彼のためにもなんとか治したいと思っていること。
一通り話終わった後に検査を受け、私の話と検査結果を元に先生と話をしていった。
ぶっちゃけ私としてはとりあえず早く治す方法を教えて欲しかった。
彼のことはまだ好きだし、忘れたくない。それもちゃんと伝えたはずだった。
「男の人なんてその人だけじゃないんだよ?」
「今は脳が少し疲れている状態だから、無理しないように」
話は終始こんな感じだった。
私がいくら彼のことが大事なのかを説いたとしても、忘れることが最善なのだと遠回しに言われているようで辛かった。
そんなこと分かりきってるのに、それができないから苦しいのに、なんでそんなに簡単そうに言ってくるんだろう、そう思った瞬間に心のシャッターが降りきってしまった。
人と人とはやはり相性があって当然だとは思うが、それにしても私とこの先生の相性はめちゃくちゃ悪かったと思う。
検査の結果も鬱でも双極性障害でもないけど、脳の働きは健康な人より悪い。そんな感じだった。
こんなにも辛いと自分でも思っているのに病気にすらなれない自分が惨めに思えて、終盤は先生の話に頷くふりをしながら『なんのために来たんだろう』と思いながらずっと泣いていた。
待合室で涙は少し落ち着いたものの、受付で「薬代も含めて1万2千円です」と言われた時に『なんでこんなことにお金使っちゃったんだろう』とまた来たことに対する後悔に苛まれてしまった。
1万2千もあったら新しいコートが買えるのに、温泉に一泊もできる、いいお店のディナーが食べれられる。
なのに、なんで私はこんな大金を払ってまで精神科に来て、何もすっきりすることもなくただ泣いて帰ってるんだろ。馬鹿じゃないの。
生理初日なのもあってほんとに情緒が終わってたし、お腹も頭も痛かったけど、少しでも負債を取り戻そうと、めちゃくちゃ寒かったけどその日は家まで30分ぐらいある帰り道を歩いて帰った。
ってくそ重い感じで終わっちゃったんだけど!!この2日後にまたちゃんと私が変わるきっかけになった出来事があるのでこの後に書きますね😉(誰得?)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?