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猫とパン屑--村上春樹『猫を棄てる』感想文

読みながらずっと、私と入れ替わるようにこの世を去った祖父のことを考えていた。

数年前に祖母が亡くなった。遺品の中から祖父の従軍記録のような書類が出てきた。そこには、忙しくあちこちに送られる様子が小さな字で丁寧に書いてあった。最終地はシベリアだ。

一滴も飲まなかった祖父がアルコール依存症になり、65歳の若さで命を落とした原因。

祖父は職人で、仕事中は厳しくて近寄りづらい雰囲気だったそうだ。けれど、持ち前の明るさと器用さでシベリアを生き抜いた。片言のロシア語で随分かわいがられたようだ。

母から聞く祖父の話が大好きだった。それを顔しかめるようにして聞いている祖母のことも好きだった。

祖父にまつわる記憶のかたまりのようなもの、それが『猫を棄てる』の読書中にどっと押し寄せた。

誰かの記憶を通して、私のごく個人的な記憶のエピソードが想起される。そうやって、連綿と人から人へ形を変えながら手渡されていく『記憶』。

私たちの中にもそれぞれの『猫を棄てる』エピソードがある。シベリアで、仲間がじっと見つめる中で、祖父は硬いパンをミリ単位で等分に切り、散らばった粉すら等分に分けた。俺はそれが得意だったんだ。祖父は誇らしげに言った。

大きな出来事は地下で普遍性を育んでいる。戦争はもちろん、地震やパンデミックもそうだろう。

優れた文章はいつも個人的だ。『あなた』のことではなく、『私』のことが書かれている。

小さなこの本を眺めるとき、私はこれからも何度も祖父のことを思い出すだろう。また違うところを掘り出して、出てきた記憶を違う角度から眺めることだろう。猫が戻ってきたように、どこかほっとした気持ちで小さく笑って。

猫の形をしていたり、パン屑だったり記憶の形は様々だ。キラキラと輝くかもしれないし、ザラザラとした手触りかもしれない。

いまはもういない人たちの気配のようなものに包まれ、今日も私は生きている。

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