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写真で表現する、ということ

2023年2月23日~26日に大阪で、2023年5月27日~28日に東京で、写真展「Geranium.」を開催いたしました。

写真展そのものの振り返りは別でしようと思うので今回は作品について振り返ろうと思います。

そもそも「Geranium.」って?

写真で人の繋がりや感情を表現した作品

端的にいうとこうなります。
物語性のあるこの作品。ヒロイン「あなた」の持つ人との繋がりや感情を写真で表現しています。

Geranium.のInstagramはこちら

総撮影枚数は1万枚をこえ、投稿した写真の数は約200枚。
そのすべてのカットに意味のある写真たち。

なぜこの枚数すべてに意味を持たせなければならなかったのか。

動画でなく静止画で表現する、ということ

私は普段ダンス(身体表現)を使い、音楽に乗せて表現をしています。
ダンスでも人との関係性や感情、ストーリーを表現しますがダンスと写真の大きな違いは動画か静止画か、というところにあります。

パラパラ漫画を想像していただけたらわかるかもしれませんが、動画は膨大な数の静止画の集まり、といえますね。
静止画はそれの重要な部分だけ抜いたような形になります。

つまりすべての写真にきちんとした意味づけがないと、ただでさえ言葉のない不明瞭なストーリーが全く伝わらないものになってしまいます。

ダンスを作るように組み立て、その中で特に必要な部分を抽出して精度を高め、Instagramに投稿したり写真展に展示したりしています。

Geranium.の持つストーリーとは

「あなた」が主役であること

この作品一番の目的は、見ているあなた自身が自分を作品に投影して見てもらいたい、と思っていました。

なぜなら今回表現した感情は誰しもが一度は経験したことのあるだろう、「孤独」、「寂しさ」、「切なさ」そのようなものたちが多く含まれているからです。

これはきっとあなたの話。

そうコピーをつけたのにはそんな理由がありました。
言葉のない表現のゴールは全てが伝わり切ることでなく、ずーんと心に何かが落ちて、余韻のような何かを感じてもらうことだと思っています。

Instagramや写真展を見ていただいたみなさま、この作品を見てどうでしたか?

これを聞くのが一番怖いですね笑

表現は受け取り手の力も必要なので人によって感じる度合いは大きく変わります。こちらの意図や伏線に気付いた方もいれば、結局これはなんだったの?となる方もいるでしょう。

だからこそ表現はより精度を上げていけるし、ただの自己満で終わらず自身の成長に繋げられると思っています。
ぜひそれぞれ感じたことを率直にお聞きしたいです☺️

Geranium.ストーリーはこちら⬇️


プロデューサー"りり"として

ここからはプロデューサー"りり"としての裏話。ネタバレを含みます。

共同プロデュースをすること

2人でひとつの作品を作る、というのは実際どうやって作っているのか気になりませんか?
りりとshiho.は根本で表現において共通していて、そのアウトプット方法に差があります。

そもそも2人とも音楽からインスピレーションを受けるという共通点がありました。
そのため今回の作品にはそのストーリーに沿ったプレイリストを作成しています。

これによりシーンごとの共通認識が生まれました。

まあまずそれが何言ってるんだ、と思うかもしれませんが元々表現したいもの、表現する軸が似ていたので(いわゆる価値観・方向性の一致みたいな)曲に対する理解がほぼ同じだったんですね。

違いはそこからです。写真というのは2人とも共通しているアウトプットですが、もうひとつ、shiho.にはデザイン、りりには身体表現(ダンス)という得意なアウトプット方法があります。

これをフルで活かしたのが今回の共同プロデュースでした。

shiho.が作成したDM画像

このような画像は全てshiho.が作ってくれています。
作品を知ってもらう、一番最初に見られるもの。
作品のイメージや雰囲気を左右する大事なデザインは全てshiho.が考え、作成しています。

そしてカメラマンとして切り取ること、レタッチでその表現をより強調することがshiho.のしていることです。

りりのしていたこと

じゃありりは?というと、具体的にカット割の考案、小物類や衣装のディレクション、撮影時のディレクション、自身が被写体としてうつること、Instagramの運用(キャプションやリール作成、投稿など!)ほか連絡まわりを行なっていました。

もちろんカメラマンはshiho.ですから都度打ち合わせをしてこういう表現のためにこういうカットが必要だと思うんだよね、ということは全て伝え話し合っていました。


例えば同じようなカットで関係性の比較が撮りたい、と伝え実際に撮れたのがこちら。

女性はヒロインで同じ人、男性は別の人です。
さあこの2枚、時間帯や場所以外に何が違うでしょう?
2つ違うところがあります🔎



正解はヒロインの立ち位置が左右違うこと、繋いでいる手を男性も握ってくれているかどうかということ、の2つです!


なぜこの2点を変えたのか。


立ち位置はその人の心理を表すと言います。
一般的に右利きが多いので、多くのカップルは右側に男性(左手で手を繋ぐ)、左側に女性(右手で手を繋ぐ)ことが多いようです。
これは男性の利き手を空けることで何かあった時に守ってあげられるから(諸説あり)と言われています。

今回に置き換えると下の写真はヒロインが左側にいて右手で手を繋いでいる一般的に多いカップルと同じ立ち位置ですね。
つまり下の写真の男性には守ってもらえている(大切にされている)、ということ、逆に上の写真の男性には守ってもらえていない(大切にされていない)という差を表現しています。


そしてもうひとつ、繋いだ手を相手も握ってくれているのか否かについて。

こちらも同じような理由で、男性の気持ちがあるかないかを表現しています。
上の写真では女性には気持ちがあるけど男性にはないことを表し、下の写真では双方に気持ちがあることを表しています。


…細かすぎ!!って思った?笑
そう、今回の作品Geranium.ではこんな意味づけが山ほど眠っています。

そしてカメラマンであるshiho.のレタッチにもそのような意味づけのあるレタッチがたくさん散りばめられています。

そんな小さな意味づけの積み重ねで、今回の作品Geranium.のストーリーを写真で表現しているのです。

アシスタントの重要性

今回の作品、総撮影回数は8回。
撮影順もストーリーの流れではなく撮れるものから、スケジュール間隔も1ヶ月ほど空いたり連日だったり、まちまちでした。

そこで何が難しいかというと絵作りを全て頭の中で行わなければならないことです。

声もなく動きもない静止画だけでそれぞれとの関係性や、時間の進みを表現するためには、比較するカットというのが必須でした。

先ほどの例でも同じような写真に違う部分を盛り込むことで関係性の違いを表現していましたよね。

でも撮影はバラバラに行われます。
被写体の1人は関東に住んでいるので撮影時に撮り損ねたらほぼ終わり状態。

何度も考えどんな場所でどんなカットが欲しいのかを想像し、カット表を作成してアシスタントをお願いしたみんなに渡し、撮り漏れが無いかのチェックをしてもらいました。

わけもわからずアシスタントとして呼ばれ、りり語満載のカット表を見ながら一緒に管理してくれたみんな、本当にありがとう…!
おかげさまでりりの脳内が整理されて無事に全カット撮影することができました。

仕事でもない、ただの個人でつくる作品に快く手を貸してくれたみんなには感謝の気持ちでいっぱいです。


被写体"すずきりりこ"として

次は被写体"すずきりりこ"としての裏話。こっちに至ってはただの裏話なので興味のある方だけ読んでください笑

写真における被写体としての考え方

あまり被写体としての考えを発信することはないので言語化してみようとおもいます。

普段作品撮りでない撮影で被写体をするときは、その人がいかにシャッターを切りたくなるか、その人の好きを体現できるかを考えています。

言葉を選ばずにいうと人によって対応を変えている、ということです。

日常生活でも本当に少しですが人によって対応って変わってくるものだと思います。
極端に変える人は裏表のある人と思われるかもしれませんが、人それぞれ関係値や好みが違いますからみんな少しずつ違った対応をするのが当たり前ですよね。

被写体としてうつる時ももちろん自分が綺麗に見えるようにというのは共通していますが、雰囲気の作り方や目線の使い方など実は微妙に変えています。

それを意図的にしているあたりが身体表現している人だな、という感じはしますね笑

カメラマンさんの作りたい雰囲気、したいレタッチ、などなどに合わせてそのカメラマンさんの好きな、撮りたい私になれるよう努力し、シャッターを切りたい!と思う瞬間をいかにたくさん作れるか、という楽しみ方をしています。

作品における被写体としての考え方


今回の作品においては、自分であって自分ではない、と思っていました。
なぜなら見ている人が自己投影してもらえるような役であるべきだからです。

便宜上ここまで"被写体"という言葉を使用していますが、この作品においては被写体のことを"キャスト"と呼んでいます。

みんな自分であって自分ではない。
この作品の中で生きる人たちは被写体をしてくれたみんなそのものとは違う人です。

つまりお芝居ですね。ですから"キャスト"と呼んでいます。


舞台などでも同じように、物語には演出家の意図というものがあります。
自分の解釈のみで芝居をするのではなく、演出家の意図に沿ってそこに自分の解釈も盛り込み、擦り合わせながら行います。

今回の難しいところはキャストを演出するのが自分であることです。
自分が演出家であるのに自分が表現をするという、不思議な感じですね笑

おかげさまで撮影時は頭がおかしくなりそうになっていました笑

作品を引いて見て必要な演出は何か、より伝わるようにするためにはどうしたらいいか。常に考えながら撮影を行なっていました。

プロデューサーである自分と、キャストである自分、双方の意見を自分の中で戦わせながら行う撮影はとても大変で、一旦しばらくはしたく無いなと思います笑

撮影期間中の自分

作品の中で自分であって自分ではないという話をしました。
が、ベースはもちろん自分であるわけで、現実の自分にも影響がありました。

元々出演している舞台やダンスの感情へ日常的に引っ張られやすく、ハッピーな曲の時は苦しんでいてもハッピーだし、逆に悲しい切ない曲の時はとことん落ちきります。

今回の作品はほとんど負の感情のシーンなため撮影期間中はかなりの勢いで病んでました笑

平たくいうと激病みメンヘラ状態笑

もちろん撮影時にそのような感情を引き出しやすくするためプレイリストの曲を聴いてメンタル面の調整はしていましたが、撮影に関係ない時期にも引っ張られ病んでいました。

普段あまり病むということがないので周りの人には驚きとご心配をおかけしました…笑
大変失礼いたしました🙇‍♀️


最後に

作品撮りって

作品撮りという言葉はとても広い意味があると思います。
このGeranium.のようにストーリー性を持たせるものから、コンセプト撮影など、幅広い作品がありますよね。

今回の作品は私にとって

これまでしてきたダンスやお芝居と写真を掛け合わせた

初めての挑戦でした。

ずっとダンスをしてきた自分だから写真と掛け合わせて面白いことがしたい!と思っていましたがそれを実現できたと思っています。

自分が被写体でもカメラマンでもプロデューサーでも、いろんな形でこれからも作品撮りを続けていきたいですし、もっといろんな表現を写真でできるよう技術も表現力も磨いていきたいです。

2023年の作品撮り

shiho.とは今年も1年かけた作品撮りを行います。
でも今年はGeranium.とは全く違う、より多くの人を巻き込んだ作品です。

関わってくださる方ひとりひとりと丁寧にコミュニケーションを行い、大切に進めていこうと思います☺️

次の写真展はバーチャル(webサイト)にて行う予定ですのでぜひ楽しみにお待ちください。

って言っても公開は今から数えても半年以上先ですが!!笑

とんでもなく長いこの文章をここまで読んでくださった方がいれば、本当にありがとうございます。

私の頭の片隅を公開しているようで少し気恥ずかしいですが、もしこんな私と何か作りたい!と思ってくださった方がいればぜひお誘いください☺️

2023年もいろんな面白いことをするぞ〜〜!!

りり/ すずきりりこ

photo by shiho.


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