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これからどう生きていくか?

このnoteでは、僕が触れたこと、感じたことについて言ったり言わなかったりしようと思う。

ここでは本音でいう。

だから読みたい人は読む、嫌な人は読まない、でいい。これがSNSのいいところだ。

ただ書きたいから書くのだ。

そこに山があるから登るのだ、と言った登山家もいただろう。

僕は医師でも宗教家でも、霊感のある者でもない。

ただの40歳の爺だ。

ただ、今起こっている現実に目を背けずに、

「私が私である」である生き方を追求したいのだ。

それもシンプルに。

本とか、人から聞いた言葉も大切だが、

借り物より、自分から絞り出した想い、言葉で表現してみたいと思って、noteにチャレンジしてみた。

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本題


ここから本題に入ろう

noteを書こうと思った動機は、

人生の主人公は私である!と取り戻して、ひとりひとりが自分の個性を開花した人生を送れるように背中を押したい!である。

これは人に言っているようで実は自分に言っている。

個性というのは、無意識にただボーッと生きているだけでは見出せないとも思う。

このように発信したり、人と関わったり、普段のルーティンと違う行動、想いによって引き出されるものではないだろうか?

また、個性は究極の自己肯定でもあるのかな。

自分にしかないもの。人になくて自分にあるもの。

特に横並び、同調圧力をよしとした日本では、見出すのは難しいかもしれない。

難しいからこそ、トライ!なんだ。

誰しも答えは、ほんとうは自分の中にある。しかも「私はこうしたい」「こういう自分になりたい」という想いも秘めていると思うんだ。

答えはあるので、ただただ話を聞いてほしい、背中を押してほしい、、だけなんだ。

じゃあ何かブレーキになっているのか?

ストッパーになっているのか?

人によって違うが、そこにも原因と結果があるように思う。

今後の記事に、そういう人の目、人の評価を気にすることを最小限にするためにはどうするか?も書きたいと思う。

僕も含め、自分を大切にし、自己慈愛をし、自分のために行動したことが、回って人のため、家族のため、地域のため、日本のため…と意識を広げていけるようなスタンスで書きたい。

僕もいつ死ぬかわからない。

生きているうちに、こんな僕でも何かその方の喜び、励みになれること、お役に立てることが出来れば本望だ。

ひとりひとりの心、魂に届ける想いで書きたい。

「これでいいんだ」

「いいんだよ」

と自己肯定感がわけば、書く側としても、嬉しい。

人のために生きる人生なのか?

自分自身のために生きる人生なのか?

これだけでも天と地の差と思う。

普段見えないこと、気づかないようにしていること、見たくないこと、

そういった「見えざるもの」の視点からこれからどうしていきたいのか?見つけ出していきたい。

なので、、自宅待機や暇をどう持て余すか?ゲームの攻略やどうやって副業や在宅ワークなどで収入を得ることは書かない。

それは、他のサイトや記事にお任せすることと、

「見えるもの」は対処療法で、根源的な治療にならない。

コロナという見えないものには、こちら側も「心」とか「意識」という見えないもので、同じ土俵で対抗していくしかないからだ。

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見えるものと見えないもの

「見えるもの」の視点から見ると、コロナが猛威となり、様々な常識、仕事、学校、生活、家庭、

今まで私たちが「当たり前」としてきたことを破壊した。

ニュース、テレビを見ても、コロナ一色。

誰しも、見えない不安を抱えていると思う。

「コロナにかかったらどうしよう」
「仕事がなくなったらどうしよう」

僕だって不安だ。

でも、筋トレを思い出してみよう。

筋肉に負荷をかけることで、筋肉を破壊して、新しい筋肉に生まれ変わっている。

僕も先月、足首の骨折をした。
折れた骨を新しく骨細胞が必死に修復しようとしてくれる。

人体を例にとっても破壊が終わったら、新しく創造が起こるのだ。

怪我でもそうだよね。

怪我しっぱなしということは無いはずだ笑

「破壊があったあとに、修復しようとして創造があるみたいだぞ」といえるよね。

目に見える肉体に起こることでもこうなのだ。

ということは、家庭でも、社会でも範囲を広げてみたらそのように想定できないか?

不安にというところに気持ちを向けたままなのも、自由だけど、

ひょっとして新しく何かが作られるのかな?見知らぬルール、秩序が作られるのかな?と思うのも自由だ。

コロナによって世界中が大怪我をしている、真逆を見ると、それだけ新しい価値観が創造される…!

と言い換えることが出来ないだろうか?

創造というのは、今生きている私たち、ひとりひとりに委ねられている。

特に社会に出る前の学生、若者に役割が大きいだろう。

今まで、様々な感染病や難病に対応して乗り越えてきた我々…

実は細胞ひとつとっても、組織、器官、人体の秩序のために存在しているのだから、

誰しもほんとうは、全体の秩序のために役立てることはあるはずだ。

今、見出せなくてもいい。

果敢に自分の枠組みを壊していくプロセスで、見出せるかもしれないし、訳わからないかもしれない。

今の自分はそれでいいんだ。

コロナによって、様々な問題が浮き出ているが、

僕が思ったのは、国民が当たり前に慣れているがゆえの思考停止状態に陥っていることだ。

思考停止状態は、自分で無自覚と思われるから、自覚するのが大変なことと思うし、

例え、人に言われても自己正当性が勝って、直そうとしないだろう。

特に男性の方が、自己正当性が強いので直すのは難しいことだなぁと思う。

ともかく、「自覚すること」がスタートだと思う。

日々の生活のなかで自覚するために、何に気をつけるかはまた機会があれば書こうと思う。

表題のどう生きていくか?の答えは、、

人それぞれだと思うが、物質的な価値観が終わりつつある今、

健康、お金、地位、家、車、人の評価、、、

など、今までかき集めてきた善しとしてきたものが周知のように崩壊してきている。

醜いことに既存の地位や名誉、財産を手放したくない人々もニュースで散見される。

危機になればなるほど、その人の本性が出るものだと思う。

今、そんなことをやっているのは時代遅れになる。

残された価値観はなんだろう?

上記に書いたように、「心」とか「意識」といったことに着目する時代が来ているのでないだろうか?

また、どうコントロールするか、とか意識するということでなく、

「ある」ということを認識して認めることがスタートではないだろうか?

たとえば、「不平」「不安」「怒り」「ねたみ」「自己否定」

ある。

私の中にあるんだ。

善も悪もない。

あるんだよ。

存在を肯定してあげる。

ただ、ただ

受け入れてあげる。

人によっては、我慢したかもしれない。

ごめんね。と謝る人もいるかもしれない。

汚い自分をゆっくり、飲み込んで、、

丁寧に認めてあげる。

そうか。

腹の中に不快な感情がスッキリ収まってくる感覚。

そうなんだね。と。

すぐに認められなくてもいい。

などと、自分の心と向き合う時間が作れるかもしれない。

stay homeを有効に活用しよう。

今まで外ばかり、気持ちや意識を向けてきたのだから。

内に向けてあげると嬉しい自分が発見出来るかもね。

このことは、絶対解ではないし、万民に当てはまるとは限らない。

ひとりでもふたりでも、感じていただければ嬉しい。

ただ、今の自分が感じて、書きつづったことだ。

こういう風に自分に気持ちを内面に向けて、これからも書こう。

長文、お読みいただき、ありがとうございます。




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