見出し画像

ポロンナルワ、シギリヤとコロンボ

スリランカは借金のかたに支那に港湾をとられた情けない国である。また財政破綻した国家としても有名だ。だめだめ国家といっていいだろう。一方、自然は豊かで他に類をみない。そしてそれが観光資源にもなっている。

コロンボの海沿いにGalle face greenという海岸がある。国旗が毎朝掲揚される市民の憩いの場所だ。朝夕の涼しい時間には多くの人たちが集う。

そびえるスリランカ国旗

一方、Galle face greenには大きなショピングモールとシャングリラやITCといった高級ホテルも立ち並んでいる。

ITC luxury collection Colombo

海岸はコロンボ市民が多く集うが、道を挟んだショピングモールは外国人が多いし、ホテルではスリランカ人はほとんど見なかった。すでに外国人のための施設なのだろう。ITCはおそらくインド資本のホテルで、朝食にはインドコーナーがあったし、紅茶もスリランカなのにチャイを勧められた。

このGalle face greenの隣が支那にとられた港湾だ。

支那にとられた港湾

この港湾にはPort cityという免税店がある。おそらく支那人むけだろう。調べてみるとこの港湾開発はわが国とインドが進めていたにもかかわらず、親中派のゴタバヤ・ラジャパクサが白紙撤回して支那に発注したのだそうだ。馬鹿丸出しである。そしてその向いには道路を挟んで大統領府があるのだ。

Srilanka, presidential secretariat

行政府の目の前を支那に奪われている、かえすがえすだめだめな国家だ。ところがスリランカはかつてはスーパー文明国だったのである。

スリランカの中央部にシギリヤという村があり、大きな岩が2つある。Pidurangala rockとSigiriya rockだ。

Pidurangala rockとSigiriya rock

このうち右側のシギリヤロックの頂上には5世紀のシンハラ王朝時代、王宮が建てられたのである。

Sigiriya rock

垂直にそびえる岩の上に王宮を作るには足場を組み、階段を作り、資材を運ばなければならない。この高さでそれをやる土木技術をスリランカは5世紀にすでに持っていたのである。

王宮のあと

このような大規模な王宮を当時は人力で建造していたわけだが、どのように作ったのか想像もできない。

池もある

いずれにしてもスリランカは当時は世界をリードするような文明国であったことが想像できよう。しかしそのシギリヤは王族の権力争いで衰退し、いまでは観光で成り立つ静かな田舎になっている。

牛が道をふさぐ、現在のシギリヤ

シギリヤの東はMinneria国立公園になっているくらい自然と野生動物の宝庫だ。道には野生動物注意の看板があるが、絵が像だし、特に注意が必要な場所には電線の柵もある。孔雀もいるし、猿はそこいらじゅうで見かける。ここで1-2日くらいだらだらと過ごすのはとても良いと思う。日本からは遠く、交通費もかなりかかるが、自転車でシギリヤ散策をぜひやってみてほしい。

さて、シギリヤが没落したのち、ポロンナルワが首都となった時期がある。11-13世紀のことだ。ポロンナルワの遺跡に当時の繁栄をみることができる。

巨大な仏舎利

石造りの大きな建物の跡が見られる。仏舎利などは本当に大きく、これを建てるだけの土木技術を持っていたことが分かる。そして大きな石造りの仏像もあるが、非常になめらかな曲線を描いていることからも技術の高さが分かるであろう。

涅槃仏

壁の文様や絵も非常に細かい。

凝った壁のデザイン

王宮も数階建ての建物であったことが遺跡から伺える。

王宮跡

またポロンナルワには石に文字を掘った本も残されている。

いわゆるstone book, 石の本

ポロンナルワは大きな遺跡でとても徒歩ではまわれない。車でまわるレベルの規模だ。車がなくとも最低自転車が必要である。このような規模の街を造れるくらいの王朝であったが、南インドからの侵略に勝てず、崩壊に至ってしまった。高い文化と技術があっても国防力のない国は滅びるのであろう。国を守れる軍事力を持たない国家の行く末が哀れであることはその後の歴史をみると分かる。インドからの侵略にあと、16世紀からはオランダ、ポルトガル、イギリスに好きなように蹂躙され、搾取された。大東亜戦争後にやっと独立できたのは、戦争によるイギリスの国力低下が理由であろうし、それにはわが国もイギリスと戦ったことで貢献をしている。1983-2009年のシンハラ人とタミル人の内戦の原因はおそらくイギリスだ。少数のタミル人を使って大多数のシンハラ人を支配したため、独立後にシンハラ人が徐々に復権してきたことにタミル人が反抗したのではないだろうか。ふざけたジェントルマンは中東でもインドでもスリランカでも社会を崩壊させている。

一方、わが国はスリランカに多くの貢献をしている。コロンボ周辺の高速道路はわが国が造ったとのこと。構造が日本と同じなので、あたかも日本で車に乗っているような感覚だった。

バンダラナイケ空港にある友好のしるし

バンダラナイケ空港のターミナル改修もわが国の貢献だ。NHKを筆頭に日本のマスゴミも義務教育でもまったく強調されないが、わが国はスリランカに多くの貢献をしていることは覚えておくのがよい。

スリランカはシンハラ語で聖なる島を意味するのだそうだ。つらつらを書いてきたが、他の国では見れないような大自然と遺跡、仏教美術を見ることができた良い機会であった。
(Sept/2024)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?