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良い/悪いを手放す

 ケアのことを考える、または実践するにあたって、この記事の表題である「良い/悪いを手放す」って、わりと大事なことなんじゃないかなと思っています。私は18才くらいからヨガをやっているのですが、ヨガではいつもこのことを教わります。たとえば、ヨガといえば、テレビによく出てくるような、身体が柔らかい人みたいなイメージがありますよね。でも、自分の身体が硬いからといって「ああ、自分はダメだな」とか思わない、というのがヨガの教えなんですね。じゃあ、どう考えるか。

「ああ、自分の身体はずいぶん硬いな」これで終わりです。

 良いとか悪いとか、そういう判断をできるだけ棚上げする。しちゃいけないってことじゃないんですよ。それは後回しっていうか。先に良いとか悪いとか感じちゃうと、その後、自分の身体の状態を細やかに観察することが難しくなっちゃうんですね。たとえば、手の指先が足の指先につくことが良い状態だと思ったとすると、意識はどうしたって指先の間隔を狭める方向に向きます。そうするとその時、自分の身体に起きていることには意識が向かなくなります。たとえば「足の裏がつりそうだな」とか「右足のほうが無理している感じ」とかが分からなくなる。

 つまり、自分の状態をよく知ることが「良い/悪い」によって邪魔されるんです。他の人と比べるというのも同じです。「隣りのAさんの足のほうが私より伸びている」という意識は、自分の状態よりもAさんの状態に意識を向けさせてしまいます。比較を許すとすれば、過去の自分との比較くらいかもしれません。「以前、できなかったことができるようになってる!」は自分の状態の気づきですからね。でも、以前出来ていたことができなくなっていても、それですら「今日は調子悪いな」と思う必要はないんです。それが「今日の自分なんだな」で終わりです。

 自分の状態をよく知るためには「良い/悪い」の判断をとりあえず棚上げする必要があるということなんです。これが案外難しい。

 私はいま休職生活ビギナーですが、やっぱりやっちゃうんですよね。「今日は調子悪いな」とか。「うまく過ごせなかったな」とか。思うこと自体は悪いことじゃないんですよ。それも「ああ、いま自分はそういう風に思っちゃいがちな状態なんだな」でいいんです。

 「良い/悪い」の判断の前に、今の自分の状態を知る。それも行動面から知るのはわりと分かりやすいかもしれません。「クリーニング屋に行きたいなと思ってたけど、結局、行かなかったな」とか。「お隣の回覧板、今日、やっと渡せたな」とか。それって「今日はそういう状態だった」ということなんです。それをただそれだけのこととして、まずは捉えてみる。

 「こんなんじゃまだまだ復職できない」とか「薬が合ってないんじゃないか」とか「怠けてるの、私」とか、そういうこと(評価や反省)が先行しちゃうと、自分の状態をよく知るのが難しくなります。だから、今はできるだけそれをしないように心がけています。

 今日は雨だったからしんどかった。でもクリニックには行けた。おいしい食パンを買った。夫に頼まれた雑誌を買って、ほしかった書籍を注文した。でも、クリーニング屋には寄らなかった。掃除もしなかった。ヨガは30分した。瞑想は15分間もたなかった。夕食は手抜き料理だった。

 それが今日の私。

「良い/悪い」をつけない。誰かと比較しない。過去の自分とも比較しない。できなかったことだけを数えない。

 「人間の考えていることの80%は過去のことと未来のこと。ヨガをしている時はできるだけ“今”に集中しましょう」ということもよく教わります。

 今に集中すること。

 「良い/悪い」を手放すこと。

 難しいだけに、自分に言い聞かせています。とくに今は。

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