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友人とのキョリ、友人の定義

 ちょっと面倒だなって思う。そういう自分は冷たいのかもしれない。だけど、面倒がっていては人間関係は成り立たない。とくに友情とか恋愛とか家族愛とか、というのは。

 連絡なく、しばらく顔を出さなくなった友だちがいて。
 友人と呼べる相手が少ない私にとっては大切な存在なのだけれど、もともと私はひとに対してちょっと執着に欠けるところがある、というか。周りの人たちが私に「あの子、どうしたの?」と聞いてくるけれど、顔を出さない理由は私も知らないまま。

 正直に「知らない」と答えると、相手は訝しそうな顔をする。「え?そんなに仲良いのに知らないの?」とか「気にならないの?」とか、あるいは「理由を知ってるけど、事情があって言わないのかな」と思われることもある。

 共通の友人からはいろいろと勘ぐられるんだけど、実際のところは“ちょっと面倒で置いている”という感じだ。気にならないかと言われれば、気にはなる。だけど、連絡がこないということは“そういうことなのだ”と、どこかで思っている自分がいる。

 “そういうこと”というのは、私が知らなくてもよいこと、という場合もあるし、私の助けを必要としていない(今はそっとしておいてほしい)という場合もあるかもしれない。
 詳細は分からないけれど、騒ぎ立てたり、踏み込んだりしないほうがいいのかなという自分の直感みたいなものを信じているし、そういう自分の直感を押しのけてまでコトを起こすのは面倒だなって感じるってこと。

 共通の友人に、さまざま勘ぐられたとしても。勘ぐりたい人にはそうさせておけばいい。

 しばらくそうしているうちに、ゆっくりと潮が満ちてきた。友人に連絡すべき時が来た、と自分の直感が呼びかけてきたのだ。それで、その子にLINEをした。「しばらく会ってないけど、元気?」と。
 すると、すぐに返事がかえってきた。なかなか家を出られない状況にあったらしい(夫の介護)。それで一時、大変だったけど、今はちょっと落ち着いてきた、長期戦だ…みたいなことが書いてあった。

 それを読んで「ああ、やっぱり一時期、大変だったんだな。これはそろそろちょっと連れ出してあげないとな」と感じたので、お茶に誘ってみた。疲れているだろうし、その声かけが強引に感じられはしないかと迷いつつ。断られてもかまわない。気にかけていることが届けば、それでいい。そう思いつつ、誘った。

 そういう声かけって、ほんと迷うよね。言葉選びとか。疲れているだろう人をより疲れさせるようなメッセージにならないように、とか思いながら書くので。

 明日、一緒にお茶に行くことになった。その子の家の近くで、短時間で。たまには外の空気を吸わないとな。
 どんな話になるかは分からないけれど、暑い中、一緒に冷たくておいしい飲み物を飲むだけでもいいよな。

 それだけでもいいよな、と思えるのが、たぶん私にとっての友人の定義。

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