見出し画像

誕生日所感と稽古について

おととい、大塚凱に会い、きのうは吉田に会い、なんだかタイミングがよかった。大塚くんとは高校の頃から知り合いで、よく友人たちと夜な夜な群青ハウスに集まり句会をしたり、だべったり、闇鍋をしたり、賞を取ったお祝いをしたり、カラオケオールをした。吉田とは稽古場で自分でいれるように準備するのがしんどいけど、それをやると家に帰った後の後悔がないという話などをした。彼らと出会って遊んでいた頃、わたしは大学生だったし、お互い大人になっている、と思った。

稽古場への向かい方や稽古の進め方を変えてみた。上に書いたように、稽古場に向かうための準備をこれまでよりもしっかりするようになった。それをするようになってから、新作の場合は特にと思うが、1回目の稽古時のタスク量は増えて大変にはなったが、家に帰ってから余計なこと(ああすればよかった、こうすればよかった)を考える時間は少なくなった。準備するの自体は大変なので、タスク過多で死にたくなる頻度は若干増えた。が、心配しなくていい。1回目が特に大変だというだけで、この方法をやっていけばだんだん慣れてくるのかも、と思っている。しんどいことは先にやる。準備はしていた、という支えが背景にあることの稽古場での安心感もある。できるだけ自分でいられる。同時に、とにかく最初のシーンの稽古までに読み込みと準備をしてきてくださいと俳優にも伝えるようになった。それをしないと、わたしが指示を出すばかりになってそれは良くない、と思っているからである。

が、こういう場合もある。稽古が6時からで家で死にたいと5時まで思っていたとする。仕事なので、とにかく無理やり行くが、頭は100%の状態でいられる訳ではなく、70%になってしまうとする。俳優はわたしが100%であることを期待するのかもしれないが、その日のコンディションによっては難しいこともある。演出家にも体調の良い、悪いが存在する。最低限の仕事はするが、疲労も溜まっていくし、毎日最高の仕事をすることは難しい。が、最低限の準備をしていれば、70%を毎回叩き出すことは容易にできるのかもしれないと思っている。

他人には見せたくないボーダーのようなものは誰しも存在すると思う。わたしにもある。けど、うまく言えないのだけど、ボーダーを外せとかいうことではなく、できるだけわたしに近いまま稽古場でいることが大事なのかも、と最近思っている。稽古場で無理することも少なくなるだろうし。最低限の気遣いは必要だ。よっしゃ!と思わないと、わたしは今のやり方では稽古場に行くことができないので、行くことがまず、とても大変だし、しんどい。けど、行ってしまえれば、楽しい。楽しい!

なんとかこのトンネルをくぐり抜けられたらなと思っている。早く向こう側に行きたいやー。

演劇作品をつくっています。ここでは思考を硬い言葉で書いたり、日記を書いたりしています。サポートをいただけますと、日頃の活動の励みになります。宮崎が楽しく生きられます。