お風呂屋さん通い
久しぶりの投稿です。ぎっくり腰になってしまい、毎週日曜は、近くの安いスーパー銭湯に通い、温めて、運動してマッサージ器しています。やっとnoteを書けるくらいには回復しました。
私の腰痛の事はさておき、私は、12歳から19歳までの7年間、風呂が無い 二間の文化住宅の2階に母と姉と3人で生活していた時期がある。
思春期に、家の風呂が無いという貧乏生活を送り、二度とそんな生活は送りたくないと思っている。
双極性障害であっただろう父は、仕事が安定せずに、転職を繰り返し、おかげで私たち姉妹は、一時路頭に迷いかけた。この時期は、本当に人生で3番目に大変な時期だったけれど、強くたくましく生きていた。
家に風呂が無いと、銭湯に通うことになるので、徒歩3分くらいの場所にあったお風呂屋さんに通った。
私は、頭をすっぽり入れて、髪を乾かす機械が好きだった。フード式ヘアドライヤーというらしい。20円とか30円を入れて、髪はブルンブルン回って、何もしなくても乾いていく。便利なドライヤーだったけど、昨今はみたことがない。お風呂屋には、番台があって、番台は高い位置にあって、男湯、女湯のどちらも1人で見れるようになっている。そして、浴室の壁は富士山の絵。黄色いケロリンの洗面器。電気風呂はビリビリして、入ると感電しそうだった。今となっては、何もかもがレトロで、ノスタルジックな思い出である。
双極スペクトラムが、躁に傾くと、誰かに話したい衝動が強くなり、常からも独りぼっちは苦手である。話さなくても、カフェや図書館等、人が行きかう所に行きたくなる。そういう意味でも銭湯は、飽きない場所で、いろんな家族が行き交い、会話が飛び交い、1つのコミュニティがそこにあって、現代のスーパー銭湯でも、その雑多とした雰囲気の中に居ることが楽しいと感じる。
7年の貧乏生活で、得たものは風呂屋通いだけではなく、お金の大事さや、働くことの必要性等、日々「貧乏」を体感することで、「生命力」も得たのではないかと思う。私がその後、鬱転した際も、転職して働く事を継続してきたのも、もう、風呂の無い生活には戻りたくないという思いからだったのかもしれない。
ちなみに、その後、私たち家族はバブルの恩恵を受けて、自宅を購入して引っ越すことができた。双極にありがちな、人生の浮き沈みの魔法によって、その後、人並みに贅沢な日々を送ることになる。
全て過ぎ去れば、良き思い出か。貧乏生活の救いは、銭湯の別世界にあったのか。
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