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12歳でした


どうやら、梁川梨里は2012年に生まれたようだ。経歴をかいていて気づいた。Xは2013年5月から開始したため、梁川梨里11年だと思っていたが、12年の「詩と思想」入選が、はじめて文字化された梁川梨里だったようだ。

この12年の間には、このnoteにも記したとおり、卵巣摘出したり、2年くらい必死に投稿したり、はたまた「おやすみしまーす」とお休みしたり。(いちいち言う必要は、なかった)

突発的にフリーペーパーつくったり、思い立つと色々やっていたのもずいぶん前のことになっていて、唖然とする。

もう、10年以上経った、なんてとても思えない。一瞬だった。大袈裟かもしれないが、体感はそんな感じ。
わたしの計画では、仕事を定年でやめるとして、あと9年。仕事人間が、うちに籠ってしんでしまわないように(こころ的にも)はじめた詩の活動ゆえに、退職しても、ゆるゆると活動を続けていけたらいいなと思う。

しかし、梁川、この「ゆるゆる」というのがとても苦手。
瞬発力とその時の熱量はやばめにあるが、ゆっくりコツコツとというのが、難しい。そして、すぐに結果が出ないものはやめたくなる。

そんなわたしに困惑する。

以前、こんかことをかいたことがある。熱し易く冷めやすいのは熱したままでは倒れてしまうから。
適度に飽きるようにできているのかもしれない。

ただ、詩をかきはじめた11歳の頃から一番長い趣味(というのは嫌い、本気という生意気なわたし)なのは確かで、その頃、こんな多岐に渡って活動させてもらえている今を想像していなかったことは確か。

わたしの家に届く郵便の8割は、梁川梨里宛だ。仕事の電話で「梁川です」と出そうになったこともあるほど、本名よりも筆名のわたしのほうが生活の中心にいることもある。
それはそれでどうだろうと思いつつ、梁川梨里の自由さを本名のわたしは羨ましく思っている。

明らかに取り憑かれている状態でぼーっとしてる(頭の中で、完全なる詩的な場面が展開している)時には、こっちに戻ってきてと揺り動かさないと、そのままどこかに行ってしまいそうになる。

目の前の現実をきちんと生きようね、梁川さん。



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