自分のキャラクター設定の設定値。
今日は自分のお話。
小さい頃からの積み重ね。
褒められたい。
そう願うのは集団で生きる上で、承認欲求を満たしていきたいという思いに駆られるからだ。
それが「自分」というものを勝手に作り上げて、自分の枠に閉じこもる。
大人になるにつれ窮屈になり「自分らしさ」「本当の自分」を追い求める様になる。
親に褒められたい、友達にすごいって思われたい。
自分ならできる、自分はこういう人間でありたい。
親に怒られたくない、友達に見損なわれたくない。
だからやらない、挑戦しない、期待されない自分でいたい。
そうやってだんだん作っていった自分のボーダーラインに、だんだん閉じ込められていく。
どうみられたいかよりどうありたいか。
でもそのラインは見えるわけでもないし、どこかに描いているわけでもない。
過去との整合性なんて気にせずしたいことをしたらいい。
なんていうのは簡単で、自分がしたいことなんて分からなくなっている。
どんな自分が自分なの、何が好きで何が嫌いなの。
何がしたくて、誰と居たいの。
見栄でも、世間体でも、効率でも、節約でも、惰性でも、義務でもない。
自分の好き嫌いで、わくわくで選ぶ。
自分はどうしたいのか。
当たり前に自分で決めていい。
自分の意思で決めたことなら、失敗してもきっと責任だって取れる。
責任ですら進んで背負える。
きっとそうやって生きていってる人が、楽しそうに見える人。
自分に自信のある人。
今までの結果を変えるにはコツコツした努力の積み重ね。
自分が勇者だと言われなくても、勇者だと信じて旅に出てもいいんだ。
自分の基礎ポイントなんて、ちからのタネやらすばやさのタネやらを食べるだけでも上がるんだから変化しても当たり前なんだ。
突然進化して爆発的な能力の変化があったっていいんだ。
強力な魔法を取得して、敵軍を全滅させることだってできるかもしれないんだ。
強力なパーティーを得て、魔王を倒したっていいんだ。
誰かが作った前提を疑わずに受け入れるのは自分。
当たり前を、常識にしないのは自分。
変化を受け入れないのは自分。
できるかもしれないをやらないのは自分。
誰の協力も得ないと決めるのも自分。
褒められたいに標準を合わせ、自分を閉じ込めてきた。
でもそれって立派な努力。
否定するんじゃない、その上に積み重ねていきたい。
自分がなりたいのは自信のある自分でも、幸せな自分でもない。
自信なんて、幸せなんて気にしないでいられる自分。
「幸せだと思うんですけど」なんてことじゃなくて、「幸せ」が大前提の上に成り立つ自分。
それに許可を出すのは自分自身。
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